みなさん、はじめまして。科学コミュニケーターの野田裕美子です。普段は未来館友の会担当の科学コミュニケーターとして、会員の方向けのイベント企画や運営、講師などをしています。今回は友の会のお仕事から少し離れ、蓮沼・岡山・豊田らと、陸前高田での学生復興会議へファシリテーターとして参加してきました。
陸前高田へは、新幹線で到着した一ノ関からレンタカーで。陸前高田に近づいた頃、それまでのどかだった山間の風景が、ある場所を境に変わり、先へ進むにつれてその程度が増していきます。それは海の見えないこの場所まで、津波が押し寄せてきたのだという事実を示していました。自分の町や暮らしが刻々と姿を変えていく様子をつぶさに見てきた高校生たちが、今、何をどう感じ考えているのか。とにかく無性に海が大好きで大学院まで海洋の研究を続けていた私は、そのまま海岸まで車を走らせ陸前高田の町を眺めながらも、広がる町の様子を前に、上手く感情を伴えないままでした。
そうして迎えた当日。私が担当したグループは3年生の男子ばかり6人。「地元の人も県外の人も訪れて交流できる復興のシンボルになる施設」というテーマを知らせると、まず出たのは「じゃぁRiplみたいな施設」という答え。聞けば、「Ripl」は日用品や特産品を買えたり、パブリックスペースやゲームセンターが入っていたりして、いわば地元の人たちのたまり場のような施設だったそう。なるほど、地元の人の交流の場のイメージ共有はばっちり。ではそこに県外の人も遊びに行きたいと思う?と訊くと、頭を悩ませ始める面々。
歴史や暮らしや「間」を考えずして町に根付く新しい施設はないのだという建築家の渡辺さんからのアドバイスを受けつつ、彼らが辿り着いたのは、復興した高田の町とその先に広がる海を見渡せる高台に建つ、伝統の気仙大工の手法を活かした、緑に抱かれる広大な施設でした。
地元の人も交流できて、"また何事か起きたとき"にはアクセスよく地元の人みんなを収容できる場所、かつ、「高田はこんなに復興したのか」と県外の人に見てもらえる場所。彼らが思い描くシンボル施設から、彼らの中には復興を遂げた高田がイメージされ始めていることを実感し、とても頼もしく思いました。
最も印象深かったのは、参加した高校生たちが、海から目を背けず、むしろ海を活かした施設を考えようとしていたこと。高台という立地は、津波への懸念ももちろん考慮していますが、それだけではありません。高田の海もよく見えるように──。「海あっての陸前高田だから」と彼らは言います。これだけの被害をもたらした海を目の当たりにすれば、海を避けようとしても不思議はないところ。その発想からは、生まれ育った町を愛する真摯な気持ちと彼らの強さを垣間見た気がしました。
実は私は中学生の頃、神戸で震災を経験しました。近所の商店街は焼け野原になり、通っていた中学校は全壊。一時疎開をしたり青空教室で授業を受けたり。私の一続きの人生の中にそんな時間があったことが、今でもにわかには信じられないような非日常がそこにありました。17年経った今、復興を遂げ、日常を楽しめるようになった神戸は、東京で暮らすようになった今も私の誇りです。
今回の未曾有の大震災では、復興に何年かかるかわかりません。しかし「自分が生まれ育った町だから」「これからも自分が住む町だから」「少しでも早く復興させたいから」「どんどんよりよい町になってほしいから」「自分たちの手で復興させたいから」そう口々に言う彼らが担う陸前高田もきっと、彼らの誇りになるような町になり、甦るだろうと強く感じずにはいられませんでした。
今回いただいた縁を大切に、ずっとずっと高田の町の復興を見守っていきたい、そしていつか彼らのアイデアが取り入れられたシンボル施設が建ったあかつきには、是非その場所から彼らの町を眺めたいと願っています。