「想定外」と言わないための、リスクとの向き合い方

何かの脅威に対し、無防備なまま、ダメージを受けたとして。

次の3つのケースで、その意味は大きく異なると思うのです。

  1. その事態を想定しなかった
  2. その事態を想定はしたが、対策を深く考えるには至っていなかった
  3. その事態を想定した上で、発生した場合には許容することにした

福島第一原子力発電所事故は、2番目のケースに近いのかな、と筆者は思います。

津波が来るかもしれないことを考えた人は、政治家や専門家の中にもいて、指摘はありました。

しかし、「津波が来たら事故が起こるかもしれない」と想定した上で、「その時はそれで、仕方ない」という社会的合意がなされていたわけでは、決してありません。

当時の規制基準が事象者に求めたのは、津波については「地震の随伴事象としての考慮」、重大事故発生時への備えについては「自主的な対策」。明確な基準がなく、対策が後手に回っていました。

何度となく耳にした「想定外」という言葉は、「規制基準において想定が義務づけられた範囲の外だった」という意味あいが強いのだと思います。


21世紀の地球に生きる私たちの周りには、さまざまなリスクがあります。

どんな現象が脅威になり得て、どんなダメージを招くのか――。

あまりに多種多様な可能性に対し、どう向きあっていけば良いのか――。

東京大学公共政策大学院の岸本充生特任教授を講師に、3月6日(日)に開催したイベントを振り返りながら整理します。

岸本充生教授

テーマは、「未知の災害ダメージを『想定外』といわないために」。当日は説明し切れなかった部分も補足して、リスク評価が専門の岸本教授に伺った考え方をお伝えします。

この記事をアウトラインとし、詳細な内容や具体例を下記の【見出し】ごとに別記事にまとめます。必要に応じてご参照ください。

リスクとの向き合い方について、岸本教授と考えました

災害ダメージ=ハザード×社会システム

「ダメージ」は、「ハザード(現象)」と、受ける側の「システム・状況(=ハザードへの曝露と脆弱性)」によって決まると考えることができます。

「社会に対する災害ダメージ」なら、「ハザード」×「社会システム」です。

東日本大震災であれば、「地震」「津波」というハザードに、「原子力発電所」「車社会」「都市の長距離通勤」「コンビナート」などの社会システムが掛け合わさることで、現代社会ならではのダメージを受けた、ということになります。

つまり、未知のダメージは、「ハザード自体が未知」の場合に加え、「ハザードは経験ずみだが、社会システムが変化したことによって」も発生し得るのです。

情報通信や交通手段、物流などが高度・複雑化する現代から未来の社会。例えば、「太陽フレア」×「情報社会」=「電力網と通信網の壊滅による大混乱」など、歴史的に経験してない「未知のダメージ」を可能な限り想像することが、「想定外」と言わないための第一歩になります。

太陽フレア(左)と、さまざまな社会システム(右)で、どんなダメージが発生するでしょうか?

ダメージ=ハザード×(曝露×脆弱性) =詳細補足①=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-661.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

ダメージの大きさと発生可能性を見える化

多種多様なダメージが想像された時に、効率的、合理的に対策を取るためにはどうしたら良いでしょうか? すべてのダメージの大きさと発生可能性を科学的データに基づきながら評価し、二軸の「リスクマップ」をつくる、という方法があります。

未知も含めたすべてのリスクの中から重大なものを判断し、優先的に対策を進めていく材料になります。

日本の従来の安全対策・安全規制は、ダメージを受けてから再発防止策を講じる「事件衝動型」が主流でした。ここから、総合的な「オール・ハザード」の考え方に移行する-。災害対策だけでなく、個人や会社、国家、地球規模課題などにも適応できる、3.11の教訓の一つではないでしょうか。

学校のリスクマップの一例。学校の状況によって、マップは変わります。

ダメージの「大きさ」と「発生可能性」を見える化 =詳細補足②=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-662.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

安全=許容できないリスクがないこと

リスクをゼロにすることはできません。では、どこまで対策を進めれば良いのでしょうか? 「安全=許容できないリスクがないこと」と考えると、線引きがしやすくなります。

リスクマップ上の、許容できないリスクはどれでしょう? ハザードの規模や発生可能性を変えるのは難しくても、ダメージを受ける側の「システム・状況(=曝露×脆弱性)」は変えることができるかもしれません。その際にかかるコストや、他のリスクへの影響も考慮しながら、「何を守りたいのか」を軸とした価値観に基づいて判断していきます。

岸本教授が説明した「安全」の考え方

安全とは? =詳細補足③=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-663.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

科学的に整理し、価値観を尊重した対話を

ダメージを想像し、リスクマップをつくり、「安全」を目指す-。この過程を社会の中で進めると、価値観の多様性と向き合うことになります。「何を守りたいのか」「どこまでならリスクを許容できるのか」は、個々の立場や考え方によって異なるのです。

必ずしも「正解」がない中で、ひとつの方向を決めなくてはならないのが社会問題。そのために、互いの価値観を尊重しながら、対話を深めていく必要があるのでしょう。

科学的にできることは、ダメージを想像し、リスクを根拠に基づいて評価すること。「リスクマップをつくること」と言い換えても良いかもしれません。それによって、互いの価値観の相違点や論点が明確になってくれば、対話は本質に迫り、正しい判断をすることにつながっていくはずです。

科学的な整理と、価値観を踏まえた合意形成 =詳細補足④=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-664.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

5年前の教訓を、未来に向けて整理します

以上が、岸本教授に伺った考え方の要約です。

これを踏まえると。

「原子力発電所が安全か」という問いに対する議論のポイントは、「原子力発電所が事故を起こす可能性はゼロか否か」にはなりません。

「原子力発電所が事故を起こす可能性をどこまで小さくできるのか」、「それでも事故が起こった場合にどんなダメージを受けるのか(どこまで抑えられるのか)」などを整理した上で、「得られる利益と引き替えに、そのリスクが許容できるものか否か」を議論する必要がありました。

多様なダメージの「可能性」と「大きさ」を科学的に評価して整理する――。

より広い視野で、リスクを許容できるか、価値観に基づいて判断する――。

災害対策だけでなく、自分や家族の日常、学校や会社などの組織の運営、まちづくり、国の将来、そして地球規模の未来まで。

21世紀を生きる私たちが、大切にしていきたい教訓です。


サイエンティスト・トーク「未知の災害ダメージを『想定外』と言わないために」
2016年3月6日 当日の動画(Miraikan channel)
https://youtu.be/WenhYi-J53g(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。


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「想定外」と言わないための、リスクとの向き合い方 =本編=
→この記事です
ダメージ=ハザード×(曝露×脆弱性) =詳細補足①=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-661.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)
ダメージの「大きさ」と「発生可能性」を見える化 =詳細補足②=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-662.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)
安全とは? =詳細補足③=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-663.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)
科学的な整理と、価値観を踏まえた合意形成 =詳細補足④=
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20160325post-664.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

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