オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」Q&Aブログ

江戸博士が質問に答える!江戸の百科事典『和漢三才図会』の世界

去る202089日、日本科学未来館と国文学研究資料館がコラボして、オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」を開催しました。江戸の博物学と呼ばれる「本草学」と、江戸時代の読書事情について、国文学研究資料館教授の入口敦志さんと、人間文化研究機構総合情報発信センター研究員(人文知コミュニケーター) で、国文学研究資料館 特任助教でもある粂汐里さん、そしてわたくし日本科学未来館の科学コミュニケーター福井智一の3人でお送りしました。途中通信トラブルでご迷惑をおかけすることもありましたが、総勢359人もの方に参加いただき、100を超える質問もいただきました。

本記事では、そんなセミナー中に参加者から頂いた質問をピックアップしてお答えしてゆきたいと思います。イベントに参加された方も、今回初めて知ったという方もお楽しみいただければと思います。今回は江戸の百科事典『和漢三才図会』にまつわる質問にお答えしてゆきたいと思います

江戸の百科事典『和漢三才図会』について

江戸の博物学「本草学」を代表する資料として、イベントでは百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』が何度も登場しました。『和漢三才図会』は西暦1712年に大坂の医師、寺島良安によって発行された、10581冊におよぶ大百科事典です。「和漢」は日本と中国、「三才」は天地人をあらわし、この世のすべてを網羅するという意気込みがタイトルからもうかがえます。まずはこの『和漢三才図会』にまつわる質問からご紹介したいと思います。

本草学と『和漢三才図会』に関しては、こちらのブログ記事も参照ください。科学コミュニケーターブログ「江戸時代に百科事典があった!東洋の博物学「本草学」とは?」

質問:江戸の百科事典はどのようなクラスの人が読んだのでしょうか?寺子屋に通うような子どもも見ることがありましたか?

入口教授:漢字だけの漢文で書かれていますので、子どもには無理だったろうと思われます。漢文は今でいえば英語にあたり、学術的な記述は漢文で書くべきであったという原則がありました。武士の子弟などは、「素読(そどく)」と言って、まずは『論語』や『孝経』などの漢文を見ながら、先生の読みに従って音読すると言うことから勉強を始めたようです。

質問:『和漢三才図会』が百科事典的役割として教育に用いられたことはあるのですか?

入口教授:『和漢三才図会』そのものは漢文で書かれた専門家向けの書物ですので、一般の教育には使われていなかったと思われます。ただ、そこに記された知識をひらがなの和文にしてテーマや対象を絞った書物も出ており、それらは教育用にも使われたはずです。

福井:そんな和文ダイジェスト版の中には、子ども向けの図鑑のようなものはありましたか?

入口教授:これも、ないと思います。子ども向けの本は、草双紙(絵入りの娯楽本)のうち特に赤本・黒本と呼ばれていたようなものが主です。大人むけの雑学知識、今で言う家庭の医学や手紙の書き方などをたくさん詰め込んだ「○○重宝記(ちょうほうき)」や「往来物(おうらいもの)」などと呼ばれるような書物はかなりたくさん出版されています。『和漢三才図会』の図像などを利用した物は多くあったと考えます。

質問:算数の知識は、庶民にも広まっていたと聞きますが、このような本草学や蘭学の知識は、どのくらい広まっていたのでしょうか?

入口教授:庶民をどのレベルでとらえるかで難しいのですが、本草学や蘭学の知識はあまり庶民には広がっていなかったと思われます。庶民向けには、別にひらがなで書かれたものが出版されていて、それらは読まれていたようです。『和漢三才図会』のような漢文で書かれたものは専門家向けです。和算については、17世紀に出版された『塵劫記』(筆者注:じんこうきー和算家の吉田光由が著した算術書)はひらがなで書かれていて、庶民向けの実用書だったと考えます。

質問:『和漢三才図会』は、蘭学ベースという認識で良いですか?中国や日本にも暦学がありましたが、それとは別の発想で書かれているとみて良いのでしょうか。(筆者注:蘭学=オランダから来た学問=自然科学などの西洋由来の学問)

入口教授:『和漢三才図会』は、儒学ベースです。蘭学とは直接関係を持ちません。東洋的な宇宙観を示しています。1609年に中国で刊行された『三才図会』に基づき、日本のことを増補したものが『和漢三才図会』なのです。ですから、中国の思想がベースになっているわけです。

福井:『和漢三才図会』の太陽系図も天動説ベースでしたね。中国由来の天文学は暦づくり、特に日食や月食を予測する計算に主眼を置かれていて、天体の実際の軌道運動などはあまり関心を持たれていなかったようです。もっとも、『和漢三才図会』が発行されたころはまだ日本に地動説は紹介されていませんでした。江戸幕府の天文方はのちに蘭学を暦づくりに取り込んでいったようですが、蘭学の色が濃い百科事典的な本はありましたか?

『和漢三才図会』に描かれた、太陽系の図。国文学研究資料館蔵

入口教授:蘭学色の強い百科はないと思います。一般的ではありませんので、やはり蘭学は特殊なものと考えた方が良いでしょう。

質問:江戸時代の図鑑ではないですが、浮世絵師が描いた絵にも、日本にはいなかっただろう生きもの(象やトラなど)が描かれていますが、どうしてそのような動物を描くことができたのでしょうか?(筆者注:『和漢三才図会』では日本に生息してない動物が図入りで多数紹介されている)

『和漢三才図会』より、サイの項目。本物のサイとは体形や角の付き方がずいぶん違う。伝聞をもとに描いたことが伺われる。国文学研究資料館蔵

入口教授:基本的には中国で作成された図像が日本に渡ってきて、それを手本に書いたものです。ただ、江戸時代になりますと、実際に珍しい動物も渡来するようになりました。例えば、五代将軍吉宗の時代(1728年)には、象が渡来しており、江戸まで来ています。そのほかラクダなども渡来していて、なかには見世物(みせもの)として興行するようなこともあったようです。

日本人見ることが出来なかった動植物はほぼそのまま元の『三才図会』の図像を踏襲しているのですが、日本にもあるものについては、かなり細かく観察して描かれています。本草学は薬や食べ物についての学問で、命に関わることでもありますので、実物を観察して間違わないようにすることは大変重要なことだったのです。

福井19世紀に活躍した絵師、岸駒(がんく)は、リアリティのあるトラの絵を描くために、トラの骨や毛皮を手に入れて研究したそうですよ。研究しただけあってド迫力の絵を描いています。


『和漢三才図会』に関する質問だけでも随分たくさんいただきました。次回は和本の歴史や江戸の出版事情をテーマに質問に答えていただきたいと思います。乞うご期待!

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