土砂降りの夜、ある男性が以前から見初めていた女性を自宅に招き、軽妙な音楽が流れる部屋でお酒を手渡している。誘うときはいつもこの音楽なの? と女に問われた男は苦笑しながらもそうだと認め、二人は距離を縮めていく…。―2011年の映画『ラブ・アゲイン』のワンシーンです。
音楽は、私たち人間の感情や行動に影響を与えることが知られています。冒頭の彼もBGMが作る「いいムード」に期待したのでしょうが、蚊の場合には、そんなムードも吹き飛ばす音楽があるのかもしれません。
「人々を笑わせ、考えさせる」研究に送られる、イグノーベル賞。30回目を迎える今年は、どんな研究が選ばれるのでしょうか?私、科学コミュニケーター飯田が、受賞しそうなおもしろい研究をピックアップしてご紹介します!
今回私が選んだのは、サワラク大学(マレーシア)のHamady Dieng氏らのグループによる研究です!氏らの論文では、エレクトロニックミュージックのある一曲が蚊の吸血、交尾の頻度を下げることを報告しています。蚊に何が起こったのか、音楽の何がそうさせたのか、など疑問が尽きないところですが、まずは実験を見てみましょう!
音楽を蚊に聴かせてみた
それでは早速、実験に使われた曲を聴いて頂きます。アーティストはSkrillex、曲は“Scary Monsters and Nice Sprites”です!
冒頭から耳に残る繰り返しのメロディ、走り回るビート、ふいに挿入される叫び声など、異様なテンションの中にほのかな切なさも感じられるこの一曲。論文によれば、この曲が選ばれたのは、上がり続ける音程や強い音圧などから「騒がしい」と判断されたからだとか。ぜひこの後もBGMとして流しながらブログをお楽しみください(?)。
実験では、蚊の一種、ネッタイシマカのメス10匹をハムスターと同じカゴに入れ、音楽を流した場合と流さない場合で、吸血行動の違いを観察しています(ご存知の方も多いと思いますが。血を吸うのは一般にメスの蚊だけで、オスは吸いません)。音楽を流した場合では、蚊がハムスターを見つけてとまるまでの時間は長くなり、血を吸う回数も減っていました。
また、音楽を流した場合には音楽を流さなかった場合よりも、オスとの交尾の回数が平均して25 %以下にまで減っていました。著者らによれば、このようにネッタイシマカの行動に音楽が影響を与えたという成果が報告されたのは、本研究が初のようです。
蚊の“ラブソング”が台無しに?
蚊の吸血行動が減った理由は定かではありませんが、著者らは、音楽による空気の振動や音程が、蚊にストレスや恐怖を与えたためかもしれない、としています。
また、生き物には、交尾のためにオスとメスが巡り合えるよう、コミュニケーションに音を利用する種が多くいます。夏の風物詩と言えば、セミの鳴き声ですね。春の田んぼではカエルが鳴き、秋になれば野山でコオロギやスズムシの合唱が響くでしょう。彼らのオスは音を出してメスにアピールし、惹きつけているのです。
ネッタイシマカでは、羽音を求愛に利用しているようです。ネッタイシマカの羽音が示す周波数は、普段オスが600 Hz、メスが400 Hz程度なのですが、お互いが近づくと羽音を1200 Hz付近までシンクロさせ、その後交尾にいたる、という報告があります。波長の合う相手のことが蚊も好き、と(モスキート)いうわけでしょうか。ソプラノ女声の音域が一般に300Hzから1300Hzくらいとされているので、人間にはネッタイシマカの"ラブソング"は相当な高音として聞こえそうです。
人間の作りだす音楽には、音程を決める周波数に加えて様々な周波数の音が混じっています。著者らは、この曲に含まれる音、たとえば蚊の羽音よりも高い音が、こうした“ラブソング”を邪魔することで交尾を減らす可能性もある、と推測しています。
かつてヨーロッパには、男性が、想いを寄せる女性の家の外に立ち、歌をうたって求愛や賞賛をするセレナーデという風習があったそうです。人間でも、そんな最中に横から騒がしい音楽を流されたら、ロマンチックな雰囲気も台無しでしょうね。
ただし、今回の実験では音楽のアリ・ナシで蚊の行動を比較しているため、この曲に特別な効果があるのか、あるいは音なら何でもよいのかは分かりません。他の音楽、例えばモーツァルト(クラシック音楽)やあいみょん(J-POP)の楽曲を聴かせたら行動はどう変わるか、気になるところです。
音楽で感染症に対抗する⁉
実はこの研究で使われているネッタイシマカは、デング熱の病原体であるデングウイルスの媒介者として知られています。デング熱は東南アジア、中南米をはじめとする熱帯・亜熱帯地域で猛威を振う感染症です。
デング熱は、日本でも2014年には国内70年ぶりの流行があり、全国で160人ほどの患者さんが出ました。ウイルスに感染した蚊がおもに東京の代々木公園付近で増え、それに刺されるという感染経路をたどったと推測されています。そのため、代々木公園やその周辺では薬剤散布や、幼虫対策として池の水抜きなど、蚊の駆除が行われました。ただし、このとき媒介者となったのはネッタイシマカではなく、近縁のヒトスジシマカと考えられています。
ネッタイシマカの成虫が生き延びるには、沖縄を除けば日本の冬は寒すぎるといいます。しかし今後、地球温暖化が進めば日本に定着する恐れがある、と考える研究者もいます。そのときには、蚊への新たな対策として音楽がクローズアップされるかもしれません!
ここからは、蚊を専門に研究していた同僚の科学コミュニケーター、小林望とも話をしながら、蚊の生態も踏まえてこの研究の意義や応用についても考えていきます。
飯田:今回の研究について率直にどう感じましたか?
小林:蚊が求愛に羽音を利用する、という話は知っていましたが、実際に音楽を聴かせてみるという研究があったのには少し驚きました。
飯田:著者らは、デング熱の予防への応用も視野に入れているようですね。
小林:感染症を媒介する蚊がいる国では、主な対策として殺虫剤が使われています。しかし殺虫剤には、他の動物への影響や、薬剤耐性の出現というデメリットもあります。蚊の駆除には他にも不妊虫を放つなどの方法が考案されていますが、今回はそれらとは全く別のアプローチの可能性を示したという点では意義があるのではないでしょうか。
鳴らすならどこで?
飯田:そもそもネッタイシマカの住処はどこなのでしょう?
小林:ネッタイシマカは人家のすぐそばに生息しています。東南アジア、たとえばタイやインドネシアでは、植え込みの陰に放置されたお菓子のビニール袋といった小さな容器に雨水がたまり、そこにボウフラ(幼虫)が発生しているのを見たことがあります。わずかな水たまりさえあれば産卵して殖えてしまうので、駆除に苦労するんです。また、人間を好んでターゲットにしており、総じて人間の生活環境に適応した蚊と言えます。
飯田:ということは、家でこの音楽を流していれば、人間は踊り楽しみつつ、蚊に刺されたり蚊が増えたりするのを防げる可能性もあると言えそうですね。陽気な絵面です。
小林:また、ネッタイシマカは主に日中に活動するため、音楽で人間の安眠が妨げられることがないという点では、音楽による対策が行いやすい相手と言えるかもしれません。ただし、音量など、効果のある条件で人間や他の動物に被害が及ばないかどうかは確かめた方がよさそうです。
飯田:たしかに、音楽がうるさくて人間の体調が悪くなってしまえば元も子もありません(笑)。
さて、本研究を知ったときには、蚊にエレクトロニックミュージックを聴かせるという組み合わせのちぐはぐさや、それでまさか吸血・交尾の回数が減るという結果の意外さには爆笑させられました。しかし、なぜ音楽が蚊の行動を変えるのか、感染症予防に使えないか、逆に吸血や交尾を増やす音楽はあるのか、人間に聴かせたらどうなるのか、など、止めどなく問いが浮かぶ切り口の多さが、この研究の魅力だと思います。イグノーベル賞にふさわしい研究だと思いませんか?
【ご案内】
今年の授賞式は日本時間の9月18日(金)朝7時から世界で同時放映開始です。日本ではニコニコ生放送で日本語字幕付きで楽しめます。私たち、未来館の科学コミュニケーターもコメントで参加します!さらに、その日の18時からは、受賞した研究の中からいくつかを取り上げてニコニコ生放送でご紹介する予定です。お楽しみに!
今回登場した小林がマラリア研究について語っている記事や、ネッタイシマカをより詳しく解説した大渕の記事もぜひお読みください。
2019年もノーベル生理学・医学賞を楽しもう! ~かゆい!じゃ済まない、蚊とノーベル賞の話~
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/201909282019-1.html
白いネッタイシマカ ~人間の生活環境にもっとも適応した媒介昆虫~
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20160317post-234.html
参考文献
H. Dieng et al., Acta. Trop., 194, 93-99 (2019)
L. J. Cator et al., Science, 323, 1077-1079 (2009)
小林ら, Med. Entomol. Zool., 71, 85-90 (2020)
厚生労働省ホームページ「デング熱に関するQ&A」https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/dengue_fever_qa.html (2020年8月27日閲覧)