未来館で思う、祖父母の生活のこと ー計算機と自然、計算機の自然ー

 皆さま初めまして。2021年の4月から科学コミュニケーターとして未来館で働き始めました、大澤康太郎(おおさわこうたろう)と申します。よろしくお願いいたします!

 今回は初めてのブログ執筆ということで、今しか書けないことを書きたいなぁと考えています。どんなことがあるか、いろいろ探してみた結果、「展示をフレッシュな目で見られるのは今しかない!展示を見たときに頭に浮かんだことを書いておこう!」と思いました。そんなわけで、今日は私が未来館で働き始めてからまだ時間がたっていない現段階でのお気に入りの展示の紹介と、その展示を見て私が思い出したことについて記事にしたいと思います。

お気に入り展示

 さて、私のお気に入りの展示は、未来館常設展3階にあるこれ。「計算機と自然、計算機の自然」です。

 正直、ちょっと難しい展示で、一見すると何が何だかよくわからなかった、というのが第一印象です。でも、噛めば噛むほど味がするというか、その世界観にひたっているうちにだんだんいろいろなことを思い出させ、考えさせられる——そんな展示だと思っています。

 ちょっと具体的に中を見ていきたいと思います。まずはこれ。入り口から入ってすぐのところにある「カルタ」なのですが、この展示の意味が分かるまではちょっと時間がかかりました……笑

触ってみると……カルタはそこに”在る”でしょうか?

 ネタバレをしてしまうのはもったいないような気もするのではっきりとは言いませんが、このカルタの展示、解説文に「時には、自分の『手』で触って、存在を確認することも大切です」と書いてあるように、ぜひ触ってそこに在るのかどうかを確かめてみてほしいです。きっとびっくりするんじゃないかなと思います。コロナ禍で“触れる”という行為に対する忌避も広がる今だからこそ、響く展示なのかもしれません。

 あるいは展示エリアの真ん中、一番大きなこれには、「計算機と自然」という名前がついています。

 ここも、すっきりわかるようなメッセージが明記されているわけではありません。でも、じっと眺め続けているとなんだか不思議な気分になってきます。植物やモルフォ蝶の標本が配置されているなかに、よく見ていくと「偽物のモルフォ蝶」が紛れ込んでいます。モルフォ蝶の羽のきれいな色が再現されていて、「偽物」は簡単には見分けられません。

これは偽物のモルフォ蝶ですが、展示の中には”ホンモノ”もいます。

 また、こちらは薄い鏡を持ちながら寸分の狂いもない動きを繰り返し続けるロボットアーム2台。鏡に周りの木や葉やモルフォ蝶たち、あるいは私(あなた)自身が映り込み、展示の内側と外側の境界はわからなくなるような感覚を覚えます。また、2台のロボットアームは寸分たがわず完璧に動いているがゆえに、鏡には少しのねじれも発生せず、自然に溶け込んで見えてしまいます。

 この展示エリア全体から私は、「計算機(コンピューター)が高度に発達した世の中では、自然と人工物の違いはわからなくなってしまう」というコンセプトを読み取っています。皆さんは「計算機と自然、計算機の自然」の展示の中でどんなことを感じとるでしょうか?

※「計算機と自然、計算機の自然」については以前先輩科学コミュニケーターの松谷さんが書かれています。記事の最後にリンクを置いておきますので、ぜひご参照ください!

祖父母のエピソード

 ここで、この展示を見ながら私が思い出すエピソードを紹介したいと思います。それは、私のじいちゃんとばあちゃんの間で起こったやり取りです。

 私は東京の八丈島出身で、高校卒業までそこに住んでいました。私の祖父母も同じく島の出身で、現在も八丈島に住んでいます。じいちゃんは若いころは漁師で、今は農作業をしたりしながら暮らしています。ばあちゃんは企業勤めをしていた人でしたが、今はもう引退して家にいながら、孫(私たち)に野菜を送ったり、庭や家の中をきれいにしたりしながら暮らしています。

 そんな二人の間では、どうやら「料理はばあちゃん」という決まりがあるように見えます。私たち孫も、料理を習った記憶というのはばあちゃんからしかありません。

 でも、じいちゃんもよくキッチンに立っています。何をしているかというと、魚をさばいて、お刺身を作っているのです。二人の間にはおそらく暗黙の内に、「料理は全般ばあちゃんだけど、魚をさばくのはじいちゃん」というルールがあるようです。ちなみに八丈の言葉で、魚をさばくことを「じょーる」と言います。じいちゃんが元漁師だからなのか、それとも島の他の家庭でもそういうものなのかはわかりませんが、“魚をじょーる”のは、我が家ではじいちゃんの仕事です。

八丈島の海。最近はなかなか帰れていません……。

 さて、これは私が大学生になってから、夏休みに帰省していたある日の出来事です。その日はじいちゃんとばあちゃんと一緒にご飯を食べようと思って、祖父母宅に滞在していました。みそ汁を作っていたのは、いつもの通りばあちゃんです。そのうち、ばあちゃんは冷蔵庫からふいに何かを取り出し、「よーい」と、じいちゃんを呼びます。じいちゃんは、よく切れそうな刺身包丁と分厚い木のまな板をキッチンまで運びます。今日はなんの刺身なんだろう。ほぼ毎日食卓に魚があがる島の生活を懐かしみ、羨みながら、私はぼーっと二人の作業を見ていました。

 その日、まな板の上に置かれたものは「カニカマ」でした。とはいっても普通のカニカマではなく、高級な、もうほとんどカニを食べている気分になれる品です。

 私は完全に意表を突かれました。なるほど、二人の間ではもうあれは「カニ」なんだ。じいちゃんの作業の中に入っているんだ。だからばあちゃんは自分で切らずに、わざわざじいちゃんを呼ぶんだ……。

(普通のカマボコはばあちゃんが切っていたので、二人が“原材料でルールを決めている”わけではないと思っています笑)

 じいちゃんとばあちゃんと、そして高級カニカマ。この関係はなにか「計算機と自然」の世界観に近い気がするんです。カニカマメーカーは、高度な技術を使ってカニにそっくりな、カニと見分けがつかない製品を開発した。カニカマはもはやじいちゃんとばあちゃんとの間にある暗黙のルールの中に入り込んでいて、もはやその境界はわからなくなるどころか、「新しい境界」になっている。私は祖父母の家のキッチンに、こんな「計算機と自然、計算機の自然」の世界観を感じます。

 先ほど私は、「展示の中でどんなことを感じ取るでしょうか?」と皆さんに問いかけました。でもよくよく考えてみると、私のじいちゃんとばあちゃんのように、もうすでに私たちは計算機の自然の中にいて、それに(時に意識的に、そして時には無意識に)適応しながら生活しているのだとも考えられるのかもしれません。

 皆さんにとっての“カニカマ”は何でしょうか?それは、あなたの生活にどんな影響を与えていますか?あなたは、もうすでに「計算機と自然、計算機の自然」の世界観に近くなっているかもしれないあなたの生活の中でどんなことを感じているのでしょうか?

 そんなことを考えるきっかけとして、今日は私のお気に入りの展示を紹介してみました。次は皆さんと展示場のなかで、いろいろなお話ができることを楽しみにしています!

(シャイな科学コミュニケーターなので、ぜひ皆さんの方からも話しかけてください!笑)

関連リンク

常設展示「計算機と自然、計算機の自然」ツアー(松谷良佑)
【前編】現実世界と計算機の世界があわさった新しい自然とは?
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20200327post-36.html

【後編】デジタル技術の進化が私たちの価値観を更新する?
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20200327post-35.html

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