ある日、Facebookでこんな投稿を見かけた。
――南極に行ってきます!火星っぽいところ探してきます!――
投稿者は新潟大学で助教を務めている野口里奈さん。彼女は私の高校の先輩で、吹奏楽部ではとてもお世話になった方だ。以前は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)に所属しており、小惑星探査機「はやぶさ2」のプロジェクトにも携わっていた。小惑星の“かけら”が入ったカプセルを回収するため、オーストラリアに向かい、現地での活躍をメディアで見かけた時には、とても誇らしい気持ちにもなった。……そんな彼女がなぜ、南極に?火星っぽいところを探しに、とはどういうこと……?
そんな疑問が晴れないまま、彼女を含む第63次南極地域観測隊を乗せた南極観測船「しらせ」が2021年11月10日、日本を出発。インターネットでライブ配信されているその様子を眺めながら、「いってらっしゃい」のメッセージをそっと彼女に送った。
火星の模擬フィールドを求めて南極へ!
2022年3月28日、野口さんが無事帰国。早速、ずっと気になっていた南極でのミッションについて話を伺った。
―単刀直入に聞きます。野口さんは何しに南極へ?!
「昭和基地周辺地域における火星模擬候補地の調査」です。ざっくりというと、南極を歩きまわって、“火星っぽい”場所がないかを調査してきました。
―“火星っぽい”場所を探しに?
今回の調査は、「南極が火星模擬フィールドとして使えるかどうか」のロケハンです。科学的な面と工学的な面、この2つの側面から調査をおこなってきました。
―科学的に、というのはどういうことでしょうか?
南極が、科学的に火星と近い環境かどうかを調べるということです。南極は空気がとても乾燥していて、気温も低い。そういう点では、火星の環境とよく似ているんです。今では砂漠のように乾燥している火星には、かつて地球のように水が豊富にあったといわれています。しかし、いったいどのような過程で今の状態になったのか、まだよくわかっていません。その謎に迫るためにも、火星の気温や湿度とよく似た南極で、岩石がどのように風化するのか、水質がどうなっているのかなどを調べることは重要だと考えています。つまり南極は、火星を探るための模擬フィールドとして使えるのではないか、と思い調査をおこないました。
―南極の環境が、科学的にどのくらい火星に似ているのかを調べるということですね。もう一つの工学的に、というのはどういうことでしょうか?
いろんな研究機関が開発している火星探査車や、カメラなどの測器を試験する場として適切かどうかを調べる、ということです。火星の地面は岩がゴツゴツとしていたり、地層がくっきり出ていたりする場所があるのですが、南極にも似たような場所があるんです。
―ええ?!南極って火星と違って、雪や氷で大地がおおわれてますよね?
じつは南極にも、地面があらわになっている場所があるんですよ。昭和基地自体は南極大陸沿岸の島の上にあるのですが、こうした沿岸部には大陸氷床におおわれていなくて、冬でも雪がつきにくい場所があります。このような場所は露岩域と呼ばれていて、地層の露出が明瞭だったり池があったりします。ちなみに、夏の時期だと最高気温が5℃くらいの日もありました。
―そういう場所って、南極に行かずとも他の大陸にもありそうって思っちゃいますが…
南極の良さの一つとして、草が生い茂っていないということがあげられます。たとえば、研究の一環で伊豆大島や三宅島へ調査に行くことがあるのですが、夏の間は特に草が生い茂り、見たい地層が見れない、なんてことがよくあります。南極はそういうことがありませんから、研究のやりやすさという点でも火星模擬フィールドとして南極をうまく利用できたらと思っています。
南極で火星模擬フィールドは見つかった?
―実際に、“火星っぽい”場所はあったんでしょうか?
あらかじめ目星をつけていた計5カ所を巡り、火星模擬フィールドとして適していそうな“火星っぽい”場所を2カ所見つけることができました!「ラングホブデ」と「スカルブスネス」という場所で、それぞれ昭和基地から30km、55kmの距離です。砂利の上に岩石がゴロゴロしているので、ローバーを走らせるテストに使えそうですし、火星を想起させる“赤色の岩石”も多くみられました。赤茶けた色の岩石はよく見かけますが“赤色の岩石”を見つけた時は火星っぽさを感じて興奮しましたね~!
―そのような場所を見つけたら、具体的にどんなことをするんですか?
写真やGPSで記録するほか、岩石の採取や採水もしました。火星模擬フィールドとみなせるような南極で水を採取し、実際に探査機によって得られた火星の水質データと比較することで、地表には水が見られない火星の謎を解くヒントが得られるかもしれないと考えています。
ちなみに、南極は場所によって水の組成が異なります。たとえば、昔は海だった場所が隆起によって陸地となったところでは、取り残された海水が溜まって塩湖となっています。一方、それ以外の場所では淡水に近いことが多いです。これらの多様な水環境を、火星の水研究に役立てられるのでないかと期待しています。これまでの火星の水研究では、かつて湖であったとされている火星の「ゲール・クレーター」の水質が明らかになっています。ミネラルを多く含んだ中性の水で、塩分濃度は1~1.5%程度。地球の海(3.4%)ほどは高くなく、ラーメンのスープに近い塩分濃度だったようです。このような研究に南極のデータを加えることで、かつての火星の水質をより精度高く復元できるのではないかと考えています。
―調査は順調でしたか?
他の業務の合間に取り組んだこともあって、調査期間としては実質1週間弱くらいでした。途中、ブリザード(激しい吹雪)が発生して、調査を一時中断しなければならない状況にもなりました。正直、もっと時間をかけて調査をしたかった気持ちもありますが、調査機会をもらえただけでもとてもありがたいです。
ちなみに、可愛いペンギンたちを見かけた時も、そちらが気になってつい調査の手が止まってしまうこともありました(笑)。
そもそもどうして、南極に注目?
―火星の模擬フィールドを求めて南極へ向かいましたが、ご専門は火星ということでしょうか?
私の専門は、「火星の火山」です。大学4年生の時、火星の観測データが豊富だったのと、地球よりも天体のサイズは小さいのに、たくさんの火山があるということに心惹かれ、研究テーマを「火星の火山」に決めました。研究では火星の観測画像も使いましたが、情報も限られるので、火星と似た火山地形のあるアイスランドやハワイにもフィールド調査に出かけました。
火山について調べれば調べるほど火山そのものにも興味がわき、“火山の修行”と称して地球の火山を扱っている研究機関や大学に研究員としても所属しました。
―「はやぶさ2」プロジェクトにも携わっていましたよね?
火山の研究を深めていく中で、また宇宙のことを研究したいと思うようになったんです。そんな時、たまたまJAXAの研究員の募集があって。「はやぶさ2を中心に、小惑星・火星・氷衛星探査から得られたリモセンデータの解析に意欲的に取り組む人材を求めます」と。タイミングよくひろってもらえ、それから火星の地下構造に関する研究に加えて、小惑星リュウグウのクレーターの形状や地下構造についても研究をしました。
―今回どうして、南極という場所に注目したんですか?
きっかけは、2017年に参加したアリゾナ大学のフィールド実習です。研究で大学を訪問していた時に、たまたまその授業に同行させてもらえることになったんです。行く先々、至るところに‟火星感“のある場所が広がっていて、強い衝撃を受けました。と同時に、近くにこのようなフィールドがあるアリゾナの研究者に対して、うらやましさも感じました。私も火星っぽいところで研究したい、身近にそんな場所があれば、と思うようになったんです。そんな思いを抱えながら、自分の研究を進める日々が続きました。
2019年、参加していた研究会で偶然にも、南極で地震計のメンテナンスをする人材を募集しているという話を耳にしました。南極は、NASA(米国航空宇宙局)が火星を模擬した実験をおこなっている場所だと聞いたことがあったので、これも何かの縁だと思い、応募することにしました。じつは南極地域観測隊、2019年と2021年で2回参加しているんです。
2019年は、地震計のメンテナンス員としての参加でした。そんな初めての南極訪問で私は、火星に似た光景を目の当たりにしたんです。以前から抱いていた想いと重なり、「南極で火星研究を!」とそこで強く心に決めたんです。その後幸運にも、2回目の南極地域観測隊参加が決まり、火星模擬フィールド調査もさせてもらえることになりました。
―NASAは南極で実験をしているとのことですが、日本の研究機関はどのような場所で実験をおこなっているんでしょうか?
伊豆大島に火山噴火によってできた「裏砂漠」というところがあります。そこは、地面が砂や岩でおおわれていて、JAXAをはじめとするいろんな研究機関が実験で使っています。ただ湿度も気温も高く、残念ながら火星の気候に近いとはいえません。NASAは南極以外だと、米国のアリゾナ州やユタ州の砂漠、またカナダなどで実験をしているようです。
―今後は、どのような計画を考えていますか?
南極は雪や氷のイメージが強いと思いますが、そういう場所ばかりではありません。南極は、火星に関する研究をおこなうための新たな研究フィールドになる可能性を秘めた重要な場所です。そのようなことを、多くの火星研究者にも知ってもらいたいし、そこでどんな研究開発ができそうなのかを仲間たちと共に考えていきたいと思っています。
また、もし再び南極に行けたとしたら、「ラングホブデ」や「スカルブスネス」で実験をしてみたいですね。測器のテストに加え、火星の岩石と同じ種類の石をその場所に置いて、それが風化でどう変化していくかを試してみたいです。
編集後記
研究の原動力は、「興奮する気持ち」と語った野口さん。火星の画像を見ても、データ解析をして意外な結果が出た時も、仲間と研究の相談をする時も、心がドキドキワクワクするのだそう。もちろん、南極で調査している最中も、ずっと興奮していたという。思い返せば高校生の頃も、野口さんは宇宙の話をする時はいつも嬉しそうな表情をしていた。ちなみに私は、宇宙飛行士に年がら年中、興奮している。
【関連書籍】
光文社新書「火星の歩き方」,臼井 寛裕/野口 里奈/庄司 大悟【著】