現在、若田宇宙飛行士が滞在している国際宇宙ステーション(ISS)は、長期滞在が開始された2000年から多くの宇宙飛行士が訪れ、さまざまな実験や研究がおこなわれてきました。船内は微小重力や閉鎖空間、資源も極端に限られるなど特殊な環境のため、飛行士にとって不便なことや我慢するしかないこともあったようです。
そこで宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、「宇宙での生活課題」をテーマに飛行士らにヒアリングをおこない、宇宙生活における課題や困りごとをまとめた「Space Life Story Book」を制作。さらにそれを元に、宇宙生活のQOL(Quality of Life)を向上させる新たな生活用品のアイデアを一般企業に募集をかけました。その結果、多くの企業から寄せられたアイデアのうち9つが選定され、製品化や宇宙仕様への開発を経て、今秋ISSへと届けられました。今まさに、それらの製品が若田飛行士の宇宙生活を支えています。
このアイデア募集の選定では、“宇宙の生活をより良くするだけでなく、地上における課題解決にもつながるものであること”も評価のひとつとされていました。宇宙の暮らしを改善しながら、今後そのアイデアを地上の課題解決にも役立てるというねらいです。
このシリーズブログでは、新たに開発された宇宙生活用品の一部をご紹介! 製品の特長や開発者の思いなどをお届けします。
今回紹介するのは、株式会社ワコールが開発した宇宙靴下®「アストロソックス®」。開発者である人間科学研究開発センターの髙木映子さんと松井孝明さんに話を伺いました!
“宇宙ならでは”の工夫
―さっそくですが、アストロソックス®の特長を教えてください!
髙木さん:地上で宇宙環境を再現することはなかなか難しいので、JAXAからいただいた情報に加え、飛行士が実際に作業する際の足や体の動きを、提供された映像で何度も観察し、宇宙環境をイメージしました。飛行士はバーに足を固定して作業をするのですが、オフィスの椅子を手すりに見立て、状況を再現してみるということもしました。
足の固定は作業効率にも関わるほど重要なことなんだそうです。動画でも、足の甲と裏を使ってバーを上下からはさみ、作業する様子も見かけました。そこで、いろんな角度でバーに足をひっかけたり体を支えたりして、作業を安全にスムーズに行えるよう、靴下の全面的(足の裏と甲側、指の部分など)に樹脂プリントしました。樹脂の大きさや柔らかさ、配置などは、サンプル品を試してもらった飛行士の意見も参考にしています。
靴下に関する課題の1つに、「船内に設置されているバーやマジックテープによって、生地がボロボロになる」というものもありました。樹脂プリントを全面的に配置することで、その防止にも役立てられると考えています。
また、洗濯ができない上に何日も履き続けなければならず、においが気になると聞いたので、生地には消臭・抗菌機能のある糸を使っています。
―丈の長さも、宇宙ならではの理由があるのでしょうか?
髙木さん:宇宙では、体がふわふわと浮いた状態で靴下を履くということで、履きやすさと足首の安定感を考え、この丈にしました。地上用の製品であれば、デザイン性から丈の長さを決めることが多いですが、宇宙用となると別の視点での検討が必要になると、勉強になりました。
―指がふたてに分かれている足袋の形も特徴的ですね。
髙木さん:工事現場の人が足袋をよく履いていると思いますが、足袋の形状だと指にしっかりと力がはいるんです。微小重力であるISS船内で活動する際、足を手のように使って体を固定するのにも役立つと考えました。
また、宇宙へ旅する時代がこれから本格的に始まるかもしれないということで、宇宙への“旅”と“足袋”をかけた側面もあります(笑)。足袋スタイルに、機能だけでなく、夢や願いも込めました。
―足袋と旅!鳥肌が立っちゃいました…!地上の製品のように、色は何種類からか選べたりするのでしょうか?
髙木さん:履く時に楽しんでいただけたらと、カラーは4色です! 普段地上で履くような色もほしいという若田飛行士の要望から、グレーと薄グレーを。あとは宇宙をイメージした青色と、ちょうどクリスマスの時期に宇宙滞在をするということで赤色も用意しました(笑)。
なぜ、下着メーカーのワコールが“宇宙用”の“靴下”を?
―ワコールといえば下着を販売しているイメージが強いので、靴下の開発と聞いて、正直びっくりしました…
髙木さん:「ワコールが靴下?!」と驚かれることが多いのですが、肌着やルームウェアのような衣服、生活用品などのアイテムも扱っています。今回のアイデア募集では、これまでの知見と経験を活かして飛行士たちの悩みに真摯に向き合い、製品として寄り添いたいと思っていました。加えて、「Space Life Story Book」には足元の靴下に関する悩みが書かれていたので、飛行士たちの生活が少しでも快適になってくれたらという思いから、宇宙用の靴下をつくろうとなったんです。
―ワコールが宇宙製品の開発…… というところも意外でした。
髙木さん:じつはJAXAとは、アイデア募集前からつながりがあったんです。現在ワコールでは、重力に負けないバストケアのブラジャーを販売しています。その開発にあたり、重力が体にどういった影響をもたらしているのかを調査する中で、JAXAと接点ができたんです。その流れで、今回のアイデア募集の話を伺いました。
―開発時は、どんなお気持ちで取り組まれていたのでしょうか?
髙木さん:私は子どもの頃から宇宙が好きだったので、このプロジェクトへの参加は偶然ですが、ノリノリで仕事をしていました(笑)。本質的に下着や肌着というのは、身体を保護することが役目で、それは地上でも宇宙でも同じです。今回はその基本的な役目に加え、宇宙生活の課題や飛行士の悩みから開発がスタートしたので、飛行士とのやり取りも楽しかったし、やりがいがありました。
宇宙生活用品の開発を通して感じたこととは
―普段、最新の装置を使って人体の動きを調べる研究をされているワコールが、動画を何度も観察するようなアナログな手法で最新の宇宙用靴下を生み出したというのが、とても印象的です。
松井さん:「宇宙用製品=ハイテクノロジーの科学を結集してつくったもの」と思われがちですが、今回そうではないことに挑戦できました。動画をコマ送りしながら、開発の基礎となる動作解析をしたり、アンケートやヒアリングをして見えなかったものを見える化したりと、地上で実証検証ができないからこそ、できることの原点をアナログな方法でやりました。他のアパレル業界の人たちや、最先端の機械を扱っていないメーカーの人たちに、最先端の手法でなくても宇宙製品がつくれるということを伝えられ、うちでもつくってみようと思ってもらえるきっかけになればと思っています。
―開発を終えた今、いかがでしょうか?
松井さん:アイデア募集に向けた「アイデア創出ワークショップ」を、JAXAのTHINK SPACE LIFEプラットフォームと共に開催した際、ある宇宙飛行士が「地球に戻って重力を感じた時に、私は地球に守られている、地球に帰属しているとすごく実感した」と話されていました。重力で体がグッと押さえつけられることを不快に感じるのではなく、地球に所属していると感じられたことが、私にはとても印象的でした。私たちは下着メーカーなので、重力で下垂していくバストを支える商品の開発や販売をしています。でも考えてみると、生まれてから二足歩行できるようになるのは、重力に打ち勝つ抗重力筋を鍛えているから、なんですよね。私たちはこれまで重力を悪いもののように思ってきましたが、今回の開発を通して重力への別の見方、宇宙から地球のことをとらえ直す視点に気づくことができました。
ワコールが、宇宙製品を開発したことやアナログな方法で開発したことに驚かれたかもしれません。しかし、私たちの中では宇宙業界への挑戦という一つの夢を同業の方々に伝えられ、これからも美しさを追求していく上で、新たな視点で取り組めるのではないかと思える機会にもなりました。足袋スタイルを選んだ理由にもありますが、「宇宙に向けた新しい旅を」というように、私たちも次の旅に向かいたいと思います。
編集後記
アストロソックス®の開発を通して得た知見は、重力環境下(地上)における足の使い方のQOL向上に応用していきたいと考えているそうです。地上のより良い暮らしにどのようにつながっていくのか、今後の展開が楽しみです。
また取材当時、「宇宙で履いてもらったという確認がまだできていないので、「できた!」という感覚があるようでないような感じ」と語った髙木さん。先日公開された若田さんの写真(下)について感想を伺ったところ、「写真を見た瞬間、若田さん、可愛い!が第一声です(笑)。赤色のTシャツと宇宙靴下を、カラートータルコーディネートしていただいたのかと! ファッションを楽しんでいる感じがして、クリエイターの私としてはとても嬉しいです。感動で胸が熱くなると同時に、船内活動で足を手のように使う時にアストロソックスは役目を果たせているのか…も気になるところです。少しでも快適に、活動の役目になっていればと願っております」というホクホクが伝わってくるコメントが! 私もこの写真を見つけた時、嬉しさのあまり近くにいた科学コミュニケーターに「アストロソックス、履いてる!」と興奮気味に報告してしまいました。
今後、写真や映像で若田さんを見かける際、足元に目がいっちゃいそうです…!