東日本大震災の伝承vol.1

わたしたちは過去の災害の記録から何を学べるか?(前編)

震災から12年が経とうとしている今、さまざまな立場から震災の経験や教訓を次の世代につなげる活動が行われています。シリーズ「東日本大震災の伝承」では、こうした伝承活動に携わっている方に、どのような思いで活動されているのかを取材していきます。被災地や伝承活動の現状を聞くことで、私たちは過去の災害とこれから起こるかもしれない災害にどのように向き合っていけばいいのかを考えるきっかけにしていきたいです。

今回お話をうかがったのは、東北大学の柴山明寛(しばやま あきひろ)先生。
過去の災害を伝承することの必要性、そこからどうやって私たちは教訓を得るのか、これからの災害への向き合い方について、お話いただきました。

トップ画像 提供:国際航業株式会社

柴山先生は長年、東日本大震災について活動を続けています

柴山先生と「みちのく震録伝(しんろくでん)」

―もともと建築構造の専門家ということですが、なぜ東日本大震災の記録をアーカイブする活動に携わるようになったのでしょうか?

「既存建物1の地震に対する安全性を評価するためには、実際の地震による建物の被災状況を調べる必要があります。そこで、東日本大震災後には約14000棟の建物を複数の大学や研究機関と協力して調査し、建物の損壊程度と地震動との関係を明らかにする研究を行っていました。しかし、これだけの多くの記録を取りましたが、東日本大震災で多くの被災を受けた津波被害やその他の被害を解明することは難しく、また、復旧とともに被災状況がわからなくなる現状がありました。その状況下で,私が所属する東北大学で震災アーカイブをつくるグループが立ち上がり、そのグループに参画することになったのがきっかけです。」

1 完成済みですでに居住等に使用されている建物のこと

 

柴山先生が携わっている東北大学アーカイブプロジェクト「みちのく震録伝」(https://www.shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/)は、東日本大震災に関するあらゆる記憶、記録、事例、知見を収集し、その情報を誰もがアクセスできるかたちで公開しています。

 

―「みちのく震録伝」の利用者としてはどんな人を想定しているのですか?

「防災に興味のあるすべての人を対象としています。震災のあらゆる情報が集まっているので、自分が必要とする情報を探し、それをもとに教訓を得るよう活用してもらうことが理想です。ですが、現状はマスメディアや災害伝承施設※2の人々が利用することがほとんどです。アーカイブから知りたい情報を検索する際、キーワードを入力するのですが、適切なキーワードを選ぶには先に震災をイメージができている必要があります。さらに一般の方と研究者では使用する語彙(専門用語等)が違うため、現状の研究者に合わせたシステムだと、一般の方が知りたい情報になかなかアクセスできないという課題があります。情報を研究者だけではなく誰でも使えるように、そして単なる記録ではなく、さまざまな事例や知見をもとに、未来の防災・減災につながるようにしていくことを目指しています。」

 

2 災害伝承施設

災害被災地の実情や教訓を学ぶための遺構や展示施設のこと。東日本大震災については、3.11伝承ロード推進機構(https://www.311densho.or.jp/)に登録されているものだけでも、青森、岩手、宮城、福島に300を超える施設が存在している。柴山先生は岩手県の東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMIメモリアルを展示監修した。

震災から10年が過ぎ、被災地の人々の意識は?

―3月11日に合わせて毎年開催されてきた、政府による合同の追悼式典が10年目を節目に2021年で最後となりました。被災した各自治体では11年目も実施されていますが、被災地から離れた場所に住んでいると、震災についての記憶や意識が薄れてきているように感じます。被災地では、人々の意識に変化はありますか?
「被災地以外では記憶の風化はありますよね。東京の人たちは、震災後3年ほどですでに復興しているという感覚だったと思います。ですが、被災地では現在でも記憶の風化はありません。そもそもまだ復興できていない地域もあります。震災について思い出したくないという人は多いですが、震災直後は話せなかった経験を11年経ってやっと話してくれる人もいます。」

「一方で、防災意識については下がってきています。例えば、津波被害にあった方は高台へ移住し、新たな防波堤ができたことによる安心感をもっています。また、『あれだけ大きな災害は、自分はもう経験することはないだろう』という考えをもってしまう方も多いです。注意しなければならないのは、東日本大震災は津波被害については大きかったのですが、実はそれ以外での災害規模は大きくなかったという事実です。特に地震動による建物の被害は多くありませんでした。これは、地震動(地面の揺れ)が建物の壊れる周期に合っていなかったこと、土砂崩れなどが少なかったこと、地震動が体感できる震度3程度の揺れから震度5以上の大きな揺れになるまで少しの猶予があり、その間に身構えることができたことなど、いくつもの要因によって地震動そのものによる被害は地震の規模に比べて少なくすんでいるのです。」

地震被害は震度で示される揺れの大きさだけでなく、ゆっくりな揺れだったか、小刻みなゆれだったか、といった揺れ方(地震動の周期)でも変わります。東日本大震災の地震は、地球を覆う岩の板であるプレート同士がぶつかるところで発生するプレート境界型の地震でした。プレート同士がぶつかり合って力がかかっていたところでプレートの破壊が起こり、プレート自体がずれることで地面が揺れました。想定よりも広い範囲で破壊が起こったため、広範囲で大きな地面の揺れ、津波を引き起こしましたが、建物に甚大な被害を及ぼす揺れ方ではありませんでした。

地面の揺れ方による建物被害の変化についてはリンク先の動画をご参照ください。
気象庁 長周期地震動による高層ビルの揺れ方
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/choshuki/index.html

阪神・淡路大震災(1995年。6,434名の犠牲者)での被害は建物の倒壊が中心でしたが、東日本大震災では犠牲者1万5,900人(2022年時点。震災関連死は除く)の9割が津波による被害でした。さらに2,523人がいまだ行方不明です。被害の大部分が沿岸地域で、海から離れた内陸部には揺れの大きさのわりには被害が少なかったのです。

「そのため、今回の東日本大震災を超える大きさの地震被害は、今後いくらでも起こり得るのです。でも、一般的にはそうは思われていないですよね。」

震災の記憶や教訓を伝承しているのは誰?

―震災の記憶や経験を忘れないために伝承が必要だと思います。東日本大震災についてはどのような方が伝承を担っているのでしょうか?
「被災者自身が実際に経験したことを織りまぜながら、災害時の教訓を伝承する”語り部”の活動がありますが、被災体験を思い出すのはとても辛く、積極的に伝承活動を行うことのできる人々は多くはありません。ほかには伝承施設の解説員が伝承活動を担っていますが、そうしたごく一部の人々に任を負わせるだけでは充分ではないでしょう。過去の災害から教訓を得て、それを伝承していくことは、すべての人々が担うべきものです。実はそのことは、災害対策基本法という法律でも災害伝承は住民の責務として規定されているのです。」

法律で定められているというと堅苦しい感じもしますが、昔から地域で起きた災害については地域内で語り継がれていたり、石碑などをつくって伝承されてきました。2019年ごろから増えてきた伝承館も、震災の記録を保管し多くの人に見てもらうことで伝承の役割を担っています。学校教育においても教科書や副読本で取り上げられていたり、修学旅行で被災地を訪れ、震災について学ぶ機会をつくったりされています。

震災時の出来事から私たちはなにを教訓としてとらえるか?

―災害に向き合うために、私たちがもっていなければならない最も大事な心得とはなんでしょうか?
「震災から得られる教訓は、住んでいる場所、その人の生活環境によって異なります。ですが最も重要なことは『地震災害は繰り返し起こる』ということです。自然災害はこれまで何度も起こってきました。過去の災害を上回ることもあります。そのとき、逃げて人の命が助かること。これが最も大切なことです。
いざ災害が自分の身に降りかかったとき、逃げるためにはどうするのか。それを過去の災害の事例や災害のアーカイブなどから、自分の地域や生活にあった教訓を探さなければなりません。」

あなたが住んでいるところは海に近いところですか? 斜面の多い所ですか? 高層ビルの立ち並ぶ都心部ですか? 集合住宅に住んでいますか? 家族や近所に小さい子どもやお年寄りがいますか? 住んでいる場所や住居のタイプ、家族構成などによって、災害に備えるために想定しなければならないことがちがってきそうです。まずは地元の自治体がもっている災害対策情報を探してみてところから始めてみるのがよいかもしれません。 例えば、東京都品川区では高層マンション向けの防災対策の手引きを公開しています。 https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/PC/bosai/bosai-bosai/bosai-bosai-zishin/hpg000019542.html

―「みちのく震録伝」以外にも、メディアなどで震災時の出来事が紹介されたり、伝承館などで多くの資料が残されていますが、そこから私たちはどのように教訓を得ていけばよいのでしょうか?
「例えば、木に登ったことで津波から助かった、という話を聞くと、津波が来たら木に登ればいいと思ってしまうかもしれません。ですが、実際には木に登っても流されてしまった人もいます。1つの事例だけでなく、複数の事象を知り、総合的に判断することが重要です。」

―津波については、“釜石の出来事”※3と“大川の悲劇”※4が有名ですね。
「この両者は単純に比べられるものではありません。釜石では小学校と中学校合同で津波からの避難訓練をずっとやってきていたため、子どもたちは先生がいなくても自分たちで逃げることができました。
大川小学校では、先生の判断に従ったために子どもたちが犠牲になったので、必ずしも大人の判断に従うことが正しいわけじゃない、と解釈されがちですが、ここから得られる教訓はそうではありません。大川小学校では事前防災があまりやられていなかった。いざというとき、どう行動すれば助かるのかというマニュアルがなかったために先生たち(子どもたちも)が正しい行動をとれなかった。ここから得られる教訓は、事前防災が大事、ということです。ひとりひとりがシチュエーションに合わせて行動できるよう、備えておくための教育が必要なのです。」

※3 釜石の出来事(奇跡)
市内の津波の歴史や防災に関する授業を実施するほか、年に1回津波を想定した避難訓練が行われていた鵜住居小学校と釜石東中学校(岩手県釜石市)の生徒は、津波が来ることを想定して地震が起きた後すぐに高台への避難を開始した。もともと決めていた避難場所にも津波が到達することを察知して、さらに高いところへ避難したことで全員助かることができた。

※4 大川の悲劇
震災以前、大川小学校(宮城県石巻市)まで津波が到達した記録はなく、大川小学校自体が地域の避難場所になっていた。津波警報が発令されたが、事前に二次避難先が決められておらず、その場で協議するのに時間を費やし、校庭に50分もとどまり続けたことで避難が遅れ、多くの犠牲者を出してしまった。

柴山先生が特に強調されていたのが“災害は繰り返し起こる”ということ。
過去の災害から教訓を得て備えることが、繰り返し起こる災害から命を守り、被害を減らすことにつながります。

後編へ向けて

柴山先生はとても気さくな方で取材も盛り上がり、なんと2時間以上もお話を聞かせていただきました。東日本大震災の伝承というと決して明るい話ばかりではありません。しかし、先生の伝承への思いやこれまでに関わった伝承活動の話を聞くと、東日本大震災についてもっと知りたい、考えてみたいという気持ちが湧き上がってきました。
後編では、柴山先生の取り組みとこれからの防災について紹介しますので、ぜひご覧ください。
後編はこちらhttps://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20230301post-487.html

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