東日本大震災の伝承vol.3

震災伝承施設が伝えるもの(後編)

このブログでは福島県の震災伝承施設を科学コミュニケーターが訪問した際のことをご紹介します。
前編はこちら https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20230804content-19.html

今回訪問した伝承施設。番号は訪問した順です。
「白地図」(国土地理院)(https://maps.gsi.go.jp/#11/38.412083/141.471863/&base=blank&ls=blank&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m)を加工して作成

東日本大震災・原子力災害伝承館

2日目。宿泊先の広野町から東日本大震災・原子力災害伝承館のある双葉町へ電車で向かいました。双葉町も富岡町と同様に福島第一原子力発電所の事故後、全町避難を強いられ、 2022年8月にはじめて一部の区域で避難指示が解除されました。

双葉駅から東日本大震災・原子力災害伝承館への道のり。県内のいたるところに空間中の放射線量を測定する空間線量計が設置され、計測が続けられています。

駅から歩いて20分程度、海の近くに東日本大震災・原子力災害伝承館は位置します。

東日本大震災・原子力災害伝承館

東日本大震災・原子力災害伝承館では、東日本大震災の中でも特に福島県だけが経験をした原子力災害について焦点を当てて取り上げています。今回訪問をした他の施設に比べ規模が大きく、情報が多岐にわたっており、東日本大震災で何があったのか、復興の状況などの全貌を知りたい人におすすめです。展示フロア内にはアテンダントスタッフの方が常駐しており、気になることを質問することもできます。展示を見るだけでなく、原子力災害について対話、コミュニケーションを行うことで、事故について理解を深められる点が特徴的です。

展示フロア内の一室では一日に4回、語り部の講話が実施されています。講話は被災をした住民により行われ、人によって、回によって、聞くことができる内容は異なります。私たちが聴講した回では南相馬市の海岸から800mのところで被災をし、原発事故により避難をしたご自身の被災経験をもとに、日頃の防災に対する意識・未来への教訓ついて話がありました。講話の後も震災後の福島県での生活やご自身の活動について多くのお話をしてくださいました。

伝承館ではアテンダントスタッフの方、語り部の方、そして来館者同士と、展示の前で多くの会話をしました。それぞれが、東日本大震災のときに全く別の体験をして、そのときの記憶や思いが展示の前であふれて、まわりの人にも共有されていきました。その語りのリアリティからたくさんの気づきを得ることができ、お互いに経験を共有することで、自分の中に新たな捉え方が生まれる感覚とその重要性を感じました。

東日本大震災報道写真展 “3.11「あの日」からの10年の様子”(開期は終了しています)
写真の前では来館者同士で自然と会話が生まれました。自然光が差し込む開けた空間が自然と対話を生んだのかもしれません。

震災遺構浪江町立請戸小学校

続いて向かった浪江町立請戸小学校は、今回訪問した伝承施設の中で唯一の「震災遺構」です。震災遺構とは震災の記憶と教訓の伝承のため、被災当時のまま保存された建物のことを指します。

震災遺構浪江町立請戸小学校。校舎の外壁には東日本大震災の津波到達の高さを示す表示があります。

原発事故という複雑な背景を抱える福島県での伝承施設において、請戸小学校では津波の脅威を真正面から扱っています。校舎1階には大津波の強烈な勢いが生々しい傷跡として残っていました。実際に被災をした建物を目の当たりにし、今まで本やテレビ等で目にしてきたものがより現実のものとして、自分に訴えかけてくる感覚を得ました。

壁や床が崩れ落ちている校舎内。
床がめくれ上がった体育館には「祝 修・卒業証書授与式」の文字が。
見学順路に沿ってどのように避難がなされたのかパネルで展示されています。請戸小学校に通っていた児童と教職員は全員無事に避難することができました。

2階には震災後の請戸地区の歩みや被災をした児童や町民の思いが展示されています。請戸小学校は今回訪問をした伝承施設のうち、福島県の中でも請戸地区という、一番小さい規模にフォーカスをしています。個人の名前を出しての展示も多くあり、地元の人々の協力を強く感じます。児童や地域住民の請戸地区への思いに触れ、請戸地区、請戸小学校が住民のみなさんにとってとても愛されていて、大切な場所であるということを感じました。請戸小学校のありのままの姿を残すことは、震災の記憶と教訓の伝承だけではなく、大切なふるさとを未来に残す意味もあるのだと思います。

模型により復元された請戸地区(参考:東日本大震災復興支援「失われた街」—LOST HOMES—模型復元プロジェクトhttps://losthomes.jp/)
当時、請戸小学校に通っていた児童による文集。この10年間考えていたこと、故郷や請戸小学校、同窓生への思い等が綴られています。

原子力災害考証館 furusato

今回の伝承施設訪問の最後に訪れたのはいわき市湯本にある原子力災害考証館 furusatoです。温泉街の中に旅館「古滝屋」9階の一室にある民間の伝承施設で、館長は古滝屋の当主、里見喜生さんです。

古滝屋
旅館の一室に展示室があります。

考証館では展示場所を提供し、それぞれの人がそれぞれの震災経験を展示できるようになっています。これまで訪問したどの施設とも違う、個人の経験を見ることができました。

展示室内の様子

流木が組まれた中央のオブジェの下には子どものランドセルやマフラーが置かれています。震災により家族3人を失った木村紀夫さんの次女、汐凪(ゆうな)さんのものです。マフラーには汐凪さんの歯の写真が包まれています。震災から5年経過した2016年に汐凪さんのあごの骨とともに発見されたマフラーで、その様子を再現しています。木村さんの自宅は地震発生後、福島第一原子力発電所の事故による避難区域に指定され、行方不明の方の捜索を中断し、退避せざるを得ませんでした。

東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県外に最大時16万人以上が避難していました。避難をしていなくても、震災や原発事故で生活が変わった人はたくさんいます。自治体が運営する公的資料館では、その一人ひとりの物語をすべて扱う事はできません。そして、東日本大震災や原発事故について自分の口から語ることができる当事者ばかりではありません。口を閉ざし、思いを話せないという人も多くいます。
「公的資料館ではこぼれ落ちてしまうような声を拾い上げ、声なき声に寄り添い、伝えたい。原子力災害についての対話の場を作りたかった」と里見さんは話します。思いを言葉にすることができない人にとって、吐き出すことができる場所でありたい、また、訪れた人にとっては、ふだんの生活であまり話すことがない、未来に向かって行動するきっかけとしてほしいという思いが込められた施設です。

おわりに

今回の福島伝承施設訪問を通し、感じたことが二つあります。一つ目は伝承施設によって展示している内容が全く異なるということです。東日本大震災は地震・津波・原発事故という未曽有の複合災害であったこと、地域によって被害の性質は様々であり、そのため、施設や人によって伝承していきたい教訓も異なるということを感じ、すべての施設で学びがありました。伝承施設を訪れる時は複数の施設に行ってみることが重要であると感じます。
二つ目は伝承施設で見たもの、聞いたことを誰かに語ることの大切さです。今回、施設を共に訪問した科学コミュニケーター3名でも展示から受け取るものは様々でした。感じたことをその場でシェアし、違う視点を得られたことは過去の教訓から何を学べるかを考える上でとても大切であると感じました。感じたことを施設の職員の方やほかの来館者とお話をするというのもおすすめです。そして施設で知ったこと、感じたことを帰ってから誰かにお話をすることでまた新たな気づきを得るきっかけにもなると思います。

伝承施設が伝えるものから自分が何を感じたのか、自分自身に問い直し、それを人に伝えることが、自分の防災意識を見直すことに繋がり、未来を考える時間となるのではないでしょうか。

参考
・東日本大震災・原子力災害伝承館 https://www.fipo.or.jp/lore/
・震災遺構浪江町立請戸小学校 https://namie-ukedo.com/
・原子力災害考証館 furusato https://furusatondm.mystrikingly.com/

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