東日本大震災の伝承vol.3

震災伝承施設が伝えるもの(前編)

シリーズ「東日本大震災の伝承」は12年前に起きた東日本大震災の経験や教訓を次世代につなげる活動を紹介するブログです。前回のブログはこちら

東日本大震災の伝承vol.2 事故であらわになったリスクを抱える、原発という科学技術とどのように付き合いますか?
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20230310post-488.html

「もしも明日大きな地震が発生したら、どんなことが起きて私たちはどう行動すればいいのだろう。」


大規模な地震や津波による災害はこれまで繰り返し発生し、この先の未来にも起こりうるものです。しかし、それに対して意識を持ち続け暮らしていくことは難しいと感じます。災害は繰り返し起こるということを認識し、日ごろから意識しておくためにはどうしたらよいでしょうか。

過去の災害から得られる教訓を知ることができる場として震災伝承施設があります。震災伝承施設とは東日本大震災被災地の実情や教訓を学ぶための遺構や展示施設です。震災伝承施設は、普段の生活で常に意識することは難しい、過去の災害を振り返り、未来を考えるという時間を提供してくれます。今回は福島県の震災伝承施設を科学コミュニケーターが訪問した際のことをご紹介します。震災伝承施設に実際に行くことで、東日本大震災がもたらした被害とそこから得られる教訓を学ぶだけでなく、被害の様相や伝承していきたいことが地域や人によって実に多様であるという気づきがありました。

今回訪問した伝承施設。番号は訪問した順です。
「白地図」(国土地理院)(https://maps.gsi.go.jp/#11/38.412083/141.471863/&base=blank&ls=blank&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m)を加工して作成

いわき震災伝承みらい館

特急電車で東京からいわき市まで1時間ちょっと、さらにいわき駅から車で走ること30分くらい、まだ若い防潮林が立ち並ぶ海沿いにいわき震災伝承みらい館は位置します。

いわき震災伝承みらい館

東日本大震災でいわき市は震度6弱を記録し、沿岸部は津波被害に見舞われました。いわき震災伝承みらい館のある薄磯地区には高さ8.51Mの津波が押し寄せたそうです。

駐車場には海抜8.0Mと高さ8.51Mの津波が押し寄せたことを示す表示がありました。

展示室に入ると初めに大きな地層の剥ぎ取り標本が目に入りました。いわき市では東日本大震災の1か月後の4月11日に再びM7.0、震度6弱の地震に見舞われています。311日の本震により誘発された直下型の地震、「福島県浜通り地震」です。短期間で性質の違う同規模の地震に2回襲われたことは、いわき市の被災経験を考える上で大きな特徴で、施設でもパネル展示等で大きくフォーカスされています。311日の本震の後の混乱が続く中で発生した地震が、震災後の復旧活動に与える影響はとても大きかったと感じ、このようないわき市の被災経験を知ること自体が、自分にとって一つの教訓となりました。

4月11日に発生した「福島県浜通り地震」により、地盤がずれ落ち、出現した井戸沢断層の剥ぎ取り標本

展示室には津波の被害を受けた、いわき市立豊間中学校のピアノや黒板の実物の展示があります。黒板にある寄せ書きは当時のものがそのまま残されており、自分が中学校を卒業した時のことを思い出しました。当たり前にそこにあった日常を感じます。

いわき市立豊間中学校の黒板。東日本大震災の日がちょうど卒業式でした。

震災発生から現在に至るまでの経過がかかれたパネル展示の他、防災グッズのハンズオン展示や、実際に地震が発生したときのことをシミュレーションしながら学べるタッチパネル式の展示がある等、小さな子どもでも防災に触れることができる工夫がありました。また、震災の記憶や教訓、復興の状況をお話してくれる語り部さんがバスに同乗して被災地を巡るバスツアーも行っており、修学旅行や校外学習の団体も多く訪れるとのことです。
「災害は誰にでも起こりうるもの。展示を見て、いい意味で怖い思いをしてもらうことで、家族と話をしてもらうきっかけとなればいいと思います。」
いわき震災伝承みらい館の箱崎智之副館長はこのようにおっしゃっていました。

いわき震災伝承みらい館の屋上から見える薄磯海岸。周辺の住宅は高台へと移転し、海岸沿いには防潮林が育てられています。

東京電力廃炉資料館

続いて向かったのは福島第一原子力発電所から南へ約10キロの双葉郡富岡町にある東京電力廃炉資料館。

東京電力廃炉資料館

小さなお城のようなかわいらしい外観です。かつては原子力発電所の有用性を伝えるための「エネルギー館」という施設で、町民の憩いの場でもあったそうです。東日本大震災発生時に起こった原子力発電所事故をきっかけに、事故の反省と教訓の社内外への伝承、廃炉事業の現状を伝えることを目的とした施設として改装されました。館内の展示は、事故の記録と教訓と、廃炉事業の経過の、大きく2つに分かれます。事故について東京電力の視点で科学的に分析し、丁寧に記録している点が特徴的です。案内ガイド付きのツアー観覧となっているため、気になること、もっと深く知りたいことをガイドの方から直接聞くこともできます。この日も福島第一原発の1~4号機それぞれについて事故当時の状況の詳しい解説を聞くことができました。

左から原子炉圧力容器、格納容器、建屋の壁の厚さを示す展示

展示はあくまで東京電力の視点で語られているため、事故により避難を余儀なくされた近隣住民の方にとっての原発事故とは少し違う側面もあるように感じます。しかしながら事実を科学的に捉え、分析した結果を伝えていくことの重要性を感じる展示と解説でした。「あの日何が起こったのか詳しく知りたい」、「そもそも原子力発電って何?」という方におすすめです。

とみおかアーカイブ・ミュージアム

東京電力廃炉資料館と同じ富岡町にある博物館です。

とみおかアーカイブ・ミュージアム

とみおかアーカイブ・ミュージアムでは、富岡町の歴史・文化の一部として、東日本大震災について語られています。展示のいたるところで富岡町での生活が住民の目線で語られている点が印象的です。富岡町に2~3時間滞在しただけの私でも情景が思い浮かぶようで不思議と展示に引き込まれました。

展示フロア内
地震直後に設置された災害対策本部の部分再現。走り書きをしたメモなどが当時のまま残されています。
住民の避難誘導に当たっていた最中に津波に巻き込まれた警察官が乗っていたパトカー.

実際に被災をした現物資料が数多く展示され、思わず言葉を失ってしまうような瞬間もありました。一方で展示フロア内はやさしい色味の電灯で照らされていて、なぜか穏やかな気持ちになります。一緒に訪問をした科学コミュニケーターの竹下と「町の大切なアルバムのようだ」という感想を共有しました。富岡町は福島第一原発の事故により全町避難地域に指定されました。とみおかアーカイブ・ミュージアムは震災の教訓を伝承するだけでなく、ある日突然に故郷から退避することを余儀なくされた富岡町の人々にとって、故郷を記録する大切な施設のように感じます。被災地において伝承していくものは震災の記憶と教訓だけではないのだということに気が付きました。

展示フロアの外にはタッチパネルによってメッセージを投稿し、来館者同士で感想を共有できるしかけも。

後編は近日公開予定です。

参考
・いわき震災伝承みらい館 https://memorial-iwaki.com/
・東京電力廃炉資料館 https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/decommissioning_ac/
・とみおかアーカイブ・ミュージアム https://www.manamori.jp/museum/

「防災・リスク」の記事一覧