オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」Q&Aブログ

江戸博士が質問に答える!江戸の人魚と不老長寿の伝説

日本科学未来館と国文学研究資料館がコラボしてお送りしたオンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」Q&Aブログ、第3回です。1回では江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に関する質問2回では和本の歴史や江戸の出版事情について、国文学研究資料館教授の入口敦志さんがお答えしました。第3回では、江戸時代の人魚伝説について、人間文化研究機構総合情報発信センター研究員(人文知コミュニケーター) で、国文学研究資料館 特任助教でもある粂汐里さんにお答えいただきました。人魚は同時代の人々にとってどれくらい“現実”のことだったのでしょうか?

「人魚」と江戸の不思議な生き物について

Q&Aブログ第1回では、江戸の博物学「本草学」を代表する資料として、大百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』を紹介しました。『和漢三才図会』は、サルやシカなど同時代の日本人になじみの生き物ばかりでなく、ゾウやサイ、トラといった日本には生息しない動物も紹介していました。そればかりか、「川太郎(河童)」や「みこし入道」といった、どう見ても“妖怪”に含まれそうな存在も、現実の動物たちと同じくくりで描かれていました。イベントでは、現代人には実在を信じがたい不思議な生き物たちが、同時代の人々にとって、どれくらいリアルなものだったのか、「人魚」を代表例にたくさんの資料をまじえながらお話しいただきました。今回は、イベントで伝えきれなかった人魚伝説のリアルについてお届けします。

【本草学と『和漢三才図会』に関しては、こちらのブログ記事も参照ください。科学コミュニケーターブログ「江戸時代に百科事典があった!東洋の博物学「本草学」とは?」「江戸博士が質問に答える!江戸の百科事典『和漢三才図会』の世界」

質問:人魚のところ(スライドに映した本草学の資料)でオランダって文字があったように見えましたが、どんな文脈なのでしょうか?

『大和本草』より、人魚に関する項目。赤線が質問にあった箇所。「海女」について、「海中にあり、上半身は女性、下半身は魚の姿」「その骨は下血を止める妙薬である。これはオランダ語で「ヘイシムレル」と言う」と書かれている。次の「海人」の項には、「姿は人のようであるが、手足に水かきがある。言葉は話せず、食物を与えても食べない。腰から下に袴を垂れたような肉片がある」などと書かれている。国文学研究資料館蔵

粂さん:大和本草(※)』附録巻二「海女」の項の解説のことですね。「蛮語ニ其名ヘイシムレルト云」と書かれています。蛮語はスペイン語、ポルトガル語、オランダ語などの異国の言葉を広くさす言葉ですが、『和漢三才図会』に「阿蘭陀以人魚骨倍以之牟礼為解毒薬有効能(オランダでは人魚の骨を「倍以之牟礼(ヘイシムレ)」と名付けて解毒によく効く薬としている)」とあるので、ここではオランダ語と解説しました。ただし、『六物新志』の著者大槻玄沢はスペイン語では「百設武唵爾(ヘセムエイル)」とし、これがなまったものではないかとしています。(※筆者注:『大和本草』は、筑前福岡藩の儒者、貝原益軒が中国明代に発行された本草学の基本書『本草綱目』をもとに著した本草書。1709年刊)

大槻玄沢著『六物新志』(1788年刊)より、人魚の図。書名にある「六物」とは、ユニコーンやミイラなど、オランダから伝わった妙薬の元になる6種類の薬の原料のことで、玄沢は、世界のさまざまな文献を引きながら、これらを解説している。人魚の説明では、フランスの有名な外科医であったアンブロアズ・パレの『外科全書』(図右)や、ポーランドの博物学者・ヨハネス・ヨンストンの『動物図説』(図左)といった西欧の書を参照している。ヨンストンの『動物図譜』には、『大和本草』や『和漢三才図会』と同じく、人魚の骨が血を止める薬になると書かれており、人魚の肉や骨が薬になるというのは、西洋医学によってもたらされた知識だったようだ。国文学研究資料館蔵

薬としての人魚と、不老長寿伝説について

人魚にはさまざまな薬効があるとされ、本草学では骨や肉が現実的な薬として紹介される一方、15世紀(室町時代)ころまでには八百比丘尼(はっぴゃくびくに/やおびくに)伝説を通じて、その肉が不老長寿の妙薬として考えられてきたとのことでした。(八百比丘尼伝説:福井県をはじめとした全国各地に残る不老長寿の伝説。もっとも典型的な話のパターンは、「不思議なお宅に呼ばれてもてなされた父親が、そこで出された人魚の肉を食べずに持ち帰り、その娘が偶然見つけ、食べて長寿になった」というもの。)そんな薬としての人魚にまつわる質問。

質問:先ほど人魚の肉が薬になるというのが西洋医学からもたらされた知識であるといわれたと思うのですが、八百比丘尼の伝説の方が古いようなので、そのあたりの関係がどうなっているのでしょうか。

粂さん:前提として八百比丘尼伝説と、本草学の知識とは別の流れで発展してきた分野ですので、切り離して考える必要があります。これは、江戸時代の人にとっても同じだったようで、『大和本草』『毛紅談』『和漢三才図会』『本草綱目啓蒙』などの本草書・博物学の書では、人魚について記す際、八百比丘尼に関して触れていません。その背景を知る資料が『六物新志』で、「我ガ邦俗、古ヨリ相ヒ伝テ言フ。人魚ノ肉、延年ノ功有ルナリ(日本の俗説で、昔からの言い伝えとして、人魚の肉には長生きの効能があるという。)」として、本草書としては珍しく八百比丘尼伝説に言及していますが、著者の大槻玄沢は、この説を「此レ世俗ノ鄙語、挙ルニ足ラズ(これは俗世間の説で、取るに足らない)」と述べており、取り上げるに値しない鄙語(世俗の説)として、退けています。当時の学者たちにとって、正統な文献とそうではない文献を区別しながら、人魚について考察していた様子がうかがえます。

福井:当時の本草学者は、人魚の肉に薬効があるということは「まっとうな医学的知識」として捉えていたけれど、それが「不老長寿の妙薬」である事はオカルトに過ぎないと思っていた、ということですね。

質問:人魚からとった薬を実際に使った例みたいなものはありますか。

粂さん:江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた あつたね17761843)の書簡(天保13年〈1842〉、国立歴史民俗博物館蔵)に、人魚の骨を手に入れ、仲間数名とともに吉日を選び、骨を削って水に浸して飲んだことが書かれています。また、その時の骨の一部を家族にも送っています。書簡には仲間たちと「人魚と云モノ実ニアルモノにやと被申候間、我等知たるカギリヲ御咄し申シ実ニアルモノヽ由述候所(人魚というものは本当にいるのだろうかと言い合って、我々はお互いに知っている限りの話を語り合ったのち、本当にいるのだ、という話になり)」、やがて人魚の骨を飲む吉日を選び、「御互ニ長生せん(お互いに長生きしよう)」と言い合ったとあり、人魚の存在を信じていた様子がうかがえます。

福井:平田篤胤といえば江戸時代屈指のインテリで、医者でもあったそうですから、いかに人魚がその時代の人びとにとって、オカルト話ではなく現実的な存在だったかがうかがえますね。

質問:人魚は世界各地に伝説が残っていますが、これらの起源や伝播の流れなどを研究した書籍とかはあるのでしょうか。

粂さん:代表的な書籍に、

①田辺悟『ものと人間の文化史 143 人魚』(法政大学出版局、2008

②吉岡郁夫『人魚の動物博物誌』(新書館、1998

③花咲一男『江戸の人魚たち』(太平書屋、1978

があります。ほかにも、短いですが南方熊楠による「人魚の話」(『南方熊楠 人魚の話』平凡社、2017所収)も面白いと思います。研究書にこだわらなければ、もっとたくさんあると思いますが、著者が文献を正確に読解できているかを見極めなければならないと思います。


何が「当たり前」なのか、時代によって全然違うということを実感させられるお話でしたね。科学文明を自負する現代社会に暮らす私たちが当たり前に信じていることも、数百年後にはおとぎ話扱いされることもあるのかな、などと考えさせられました。

3回に分けて、オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」Q&Aブログをお届けしてきました。まだまだ紹介しきれない質問がたくさんありましたが、ひとまずこれにて最終回といたします。今回とても盛り上がった人文科学との合同企画、次回も是非ご期待ください。

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