みなさん、こんにちは。花粉の大量飛散で、外に洗濯ものを干すことにちょっとためらいを感じている科学コミュニケーター中島です。
さて、昨年秋、国際宇宙ステーション(ISS)に初搭載された宇宙生活用品を紹介するシリーズブログ! 最終回となる第四弾は、花王株式会社の「Space Laundry Sheet(スペース ランドリー シート)」です。
ISSには洗濯機はないため、着用した衣類の洗濯はできません。そんな特殊な環境の洗濯事情をより良くすべく、開発された衣類用の清浄シート。どんな特長があるのか、開発者である花王株式会社ハウスホールド研究所の北川康太さんに話をうかがいました!
▼ISSに初搭載された宇宙生活用品について
宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、宇宙飛行士が宇宙で快適に暮らすための生活用品アイデアを2020年に募集。多くの企業からアイデアが寄せられ、そのうち9つが選定され、製品化や宇宙仕様への開発を経て、2022年秋にISSへと届けられました。それらの製品は、約5か月にわたる若田光一飛行士の宇宙生活を支えました。なお、このアイデア募集では、宇宙の暮らしをより良くすることに加え、今後そのアイデアを地上の課題解決にも役立てることもねらいとしています。
海外用に販売していた製品が、宇宙用につながった!
―まずは、開発された製品について教えてください。
衣類用の洗浄液を含んだ不織布のシートです。1枚のシートでTシャツ1枚分の拭きとりが可能で、特にニオイや汚れが気になるところは、重点的に拭いていただけるといいです。
―どれくらいの使用頻度を想定していますか?
地上での衣類は、1回の着用ごとに洗濯するので、それに準ずるかたちで1回着たら1回拭く、という使用を想定しています。ただ、ISS内は日本人にとって少し乾燥していて涼しいと感じることがあると聞いたので、地上と比べると汗をかきにくいかもしれません。状況に応じて使用していただければと思っています。
―私にとってボディシートはなじみがあるのですが、衣類用のシートというのは初めて聞きました。やはり、宇宙用に新たに開発されたのでしょうか?
いえ、じつはそうではないんです。弊社では以前、東南アジア向けに衣類用のウェットシートを販売していました。タイや台湾では、食事を屋台で済ませる外食文化があります。学校や仕事に行く前に、食べこぼしで服が汚れてしまうことがあるので、その汚れを落とすようなシートを販売していました。今回のSpace Laundry Sheetでは、不織布のシート自体はそのまま活用し、洗浄液のみ新しく開発しました。
―そうなんですね! 海外向けに販売していた製品が、今回の開発のベースになっているとは驚きです。ちなみになぜ、洗浄液は新たに開発しなければならなかったのでしょうか?
今回、宇宙用製品を開発する際に参考にした「Space Life Story Book」に、宇宙生活の課題の1つに“衣類のニオイ”に関するお悩みが書かれてありました。ISSでは水が貴重なので、洗濯をすることができません。そのため、同じ衣類を長期間連続で着用し、最後は大気圏に突入させて廃棄するんだそうです。そんなISSの中で宇宙飛行士の方々は衣類の汚れだけでなく、ニオイに対する悩みも感じていたそうで「(ISS船内で自然に)乾燥させた運動着や下着には部活臭みたいなものを感じました。下着は3日を越えると臭いが気になります」と言います。
もともと販売していた海外向け製品の洗浄液は、汚れ落ちに特化したものでした。今回はそれに加えて、ニオイにも効果がある成分に変更する必要があったんです。
これまでの知見を活かし、困難に立ち向かう
―開発する上で、どういった部分が難しかったのでしょうか?
ISS特有の制約を満たす、液の成分調整が難しかったですね。ISSではアルコールの使用に制限があるので、アルコールフリーの洗浄液を開発する必要がありました。アルコールは、洗浄液を“安定化させる”役割があります。そのアルコールを使わずに、液を安定化させるという新たな技術開発が私たちにとって挑戦でした。
―安定化とは……?
透明であるはずの液体が、成分の分離によって不透明になってしまうことがあるんです。これは単に、濁っているという見た目の問題ではなく、液が不安定で成分が有効に働かず、機能低下にもつながるという状況なんです。通常、成分が分離しないようにアルコールを使用するのですが、ISS用ということで今回は使えません。ですので、アルコールに相当する別成分への変更が必要だったんです。
―汚れとニオイの両方に対応した洗浄液に変えるだけでなく、安定化させる別成分へも変更するという、二つのことに挑戦されていたんですね。
私たちの会社には化粧品の研究開発を行う部門があり、そこではアルコールフリーの製品を多く取り扱っています。またニオイについては、ニオイを徹底的に落とす消臭技術、悪臭原因菌を制御する抗菌技術の研究開発にも取り組んできました。そういったこれまでの知見を活用することで、性能を落とさずに安定化できる新たな方法を確立することができました。
開発品の効果を検証するため、15日間同じ衣類を着用する耐久実験に挑戦
―Space Laundry Sheetは実際の汚れやニオイの除去に対して、どのくらいの性能なのでしょうか?
ISSで発生しうるコーヒーやケチャップなどの汚れは十分に落とすことができますし、襟汚れも目立たないくらいまでには落とすことができます。
消臭・防臭効果の検証については、性能を確かめるために普段の製品開発でも行っていることなのですが、お客さまと同じ状況で使用して、評価を行いました。今回の場合は、Tシャツを15日間着続けて、ニオイがどうなるかという実験です。
―具体的に、どうやって再現したんですか?
ISSにはシャワーもバスタブもなく、地上のような入浴ができないと聞きました。できるだけ同じ状況を再現するため、私も宇宙飛行士と同じように髪はドライシャンプーで洗い、体は濡れタオルで拭くなどして過ごし、どれぐらいニオイがきつくなるのか、製品を使用することでどのくらいニオイを抑えられるのかを実験しました(笑)。着用したTシャツの右半分をシートで拭き、左半分は拭かずに乾燥させ、再び着用するということを15日間繰り返す対照実験です。期間は、ISS内で実際に衣類を交換する周期を想定し設定しました。
―ちなみに、その間も出勤されてたんですか?
はい、出勤していました(笑)。
―周りの人からの反応は……?
データはとっていませんが、衣類のニオイは私だけではなく周囲にいる方々も感じていたようです(笑)。
―体を張って実験した結果は、どうだったのでしょうか?
何もしなかったTシャツの左側は、汗や皮脂のニオイを容易に感じられるほどニオイが増しました。一方で、開発品で拭いた右側は、ほぼ無臭に近いという結果でした。つまり、高いニオイ抑制効果を確認できました。
―北川さんの頑張りが報われて、ホッとしました!
開発品は地上で宇宙飛行士の方々に使用してもらい、評価もしてもらいました。洗濯ができないISSで衣類のケアができるというのは好評で、「地上より期待度を下げて適応していたISSでのやや不便な生活を、本品は快適にしてくれる可能性が高い」という感想もいただきました。
―宇宙飛行士の感想の中で、意外だと思ったことはありましたか?
“香り”に対する期待が、思った以上に大きかったことですね。宇宙に行くと嗅覚や味覚が鈍化する上に、香りがメンタルヘルスに大きな影響を及ぼすということを宇宙飛行士の方々は実感されているようでした。朝起きた時に顔を拭くタオルの香りで、「今日も1日頑張ろう」と思えるんだそうです。香りは、単に臭いを消すということではなく、宇宙での暮らしや仕事のモチベーション維持につながる重要な役割を求められていることに驚きました。
そういった声をふまえて、「グリーンアクアティック」と「ミンティーハーバル」の2つの香りのシートを用意しました。
―今後はこのシートを、どんなふうに活用しようと考えていますか?
ISSだけでなく、月のような他の天体での活用も考えています。また、災害時や入院時、水不足の国や地域への支援といった、地上での活用も視野にいれています。そのようなことを想定しながら、今後も研究を進めていきたいと考えています。
編集後記
取材に同席していた科学コミュニケーターの保科は、過去に研究で南極に滞在した経験があり、2ヵ月の間お風呂に入れず、洗濯もできなかったそう。ようやく基地に戻って入浴した際に、着続けた服の臭さに驚いたそうで、こういう製品があればもっと快適に過ごせたのに……と声を漏らしていました。
そして後日、Space Laundry Sheetを特別にお試しさせていただくことに! しばらく洗っていない科学コミュニケーターのユニフォームの襟部分をゴシゴシとお洗濯。強めにこすっても、シートが毛羽立つことはなく、襟汚れも薄くなりました! そしてコインランドリーに行ったときのような柔らかく爽やかな香りは、数日経ってもふわりと香り続けました!