令和5年(第17回)「みどりの学術賞」津村義彦博士インタビュー

遺伝学の視点で森林を考える

突然ですが、この2枚の写真をご覧ください。どちらもスギですが、どこが違うかわかりますか?

2つのスギのどこが違うでしょう? 葉の形に注目してみてください (写真提供:津村義彦さん)

左側のスギは太平洋側に生息しており、オモテスギと呼ばれます。一方、右側のスギはウラスギと呼ばれ、日本海側の雪が積もる地域で生き残るための特徴をもっています。ウラスギはオモテスギよりもトゲトゲした葉の一つ一つが短く、まとまりがあるのがわかるでしょうか? また写真では確認できませんが、ウラスギのほうが枝もしなやかです。
このような特徴によって、ウラスギは雪が降る時期でも木に雪が積もりにくく、積もったとしても雪の重さで枝が折れにくいので、積雪地域で生き残りやすいといわれています。そんなオモテスギとウラスギのように、昔からその地域に根づいている木々がもつ固有性に注目した研究者がいます。

今回お話をうかがってきたのは、令和5年(第17回)「みどりの学術賞」を受賞された、筑波大学生命環境系教授および山岳科学センター長の津村義彦(つむら よしひこ)さんです。
「森林樹木の遺伝的地域性の解明と森林の遺伝的保全管理への展開」というご功績にもあるように、津村さんは樹木の遺伝子を研究し、遺伝学の知見を産業に役立ててこられました。

津村義彦さん(写真提供:津村義彦さん)

まずは津村さんの受賞功績にもある遺伝的地域性とは何かをご説明しましょう。遺伝子は生きものの形や生命活動を保ち、子孫にその情報を伝えます。先ほどのスギのように同じ種類の樹木であっても、遺伝情報が親から子に引き継がれていって何世代も経つと、遺伝情報に地域的な偏りが生まれる場合があります。
もう一度オモテスギとウラスギを見比べてみましょう。ウラスギのトゲトゲした葉は、オモテスギよりも短くてまとまりがあり、枝もしなやかです。このように雪の積もった環境でも生き残りやすい特徴をもった木のほうが、多くの子孫を残すことができたので、世代を経るうちに遺伝情報に地域的な偏りが生まれたといわれています。このように特定の地域集団には、自然環境に合わせた性質や特徴が代々受け継がれていることがあります。地域ごとに遺伝情報が異なることやその特徴を「遺伝的地域性」といいます。

オモテスギとウラスギの比較(写真提供:津村義彦さん)

ただオモテスギとウラスギは同じスギという種なので、交配が可能です。ウラスギの森林にオモテスギが植樹され、交配すると雪が降る地域の環境に合わせたウラスギの遺伝情報が乱されるかもしれません。津村さんは、地域性を考慮しない樹木の移動によって長い年月をかけて適応してきた特徴に影響がでることに警鐘を鳴らしてきました。

未来まで健全な森林を残す ―遺伝的地域性を守る取り組み

津村さんは『樹木の種苗移動ガイドライン』という書籍を作られています。これは50種弱の主要な樹木について、遺伝的地域性を守りながら、樹木に関わる仕事を行うためのガイドラインです。今でこそ植樹をするときには、遺伝的に近い地域集団からもってくることは当たり前の注意事項ですが、それは津村さんのこのような取り組みがあってのことでしょう。まずは津村さんから、ガイドラインに関するお話をうかがいました。

津村さんが出した『樹木の種苗移動ガイドライン』(文一総合出版)

―ガイドラインを出すことで、すんなりと種苗の移動に遺伝的地域性を考慮する流れになったのでしょうか。

津村さん:すんなりというわけではありません。でも作っただけで終わりにしてはいけない、この情報を役立てるにはとにかく広く知らせていかなければ、と思いました。それで全国の自治体や団体など、関係各所にビラ配りのように配布したんです。こうした草の根活動を行うことでいろいろな自治体から講演を依頼されることが増えたり、遺伝的な地域性を保つためのプロジェクトが立ち上がったりと効果が見え始めました。

―ガイドラインが広く知られたことで、ほかにも何か変化はありましたか?

津村さん:NPOや地方自治体、企業の方など、植樹に関わるいろいろな方と出会いました。
例えば業者さんから「種や苗の移動を制限するような境界線をつくられると商売に影響が出てしまう。なんでこんなことをするんだ」という声をいただいたこともあります。そういう批判ももっともだと思います。
その際まずお伝えしたのは、地域性を考慮するといってもこのガイドラインでは日本列島を3つか4つのエリアに区切るくらいで、種や苗の移動を厳しく取り締まるわけではないということです。そして何より、地域集団間の境目を超えて交配すると、その地域の環境に最も適した特徴が将来の世代で弱まってしまう可能性があることをお伝えしました。
ほかの地域の種と交配して生まれた木が成長して、もし花をつけて花粉を飛ばして子孫を残すことができた場合、次の世代やさらにその先の世代の木にも、その地域の環境で生き残るには不利な遺伝子が広がってしまうかもしれません。すると私たちが生きている間だけでは終らず、何万年先までも影響が出る可能性があります。実験している地域の環境に適した木ほど大きくはなりませんが、このまま成長していくと花をつけて子孫を残していくことでしょう。
なぜ遺伝的地域性を守るのが大事かと聞かれたときには、数十年間の目先の利益のために、数万年先まで続く不利益を生みかねないリスクがあることを、遺伝学的な知見とともに伝えるようにしていました。


関係者に向き合い、自然科学の立場から提言を行う津村さんの真摯な態度が見えました。未来がわかるわけではないけれど、科学的根拠にもとづいて長期的な影響を考える。科学の知見を社会に役立てることの重要性を感じます。

遺伝学の知識を社会に役立てることは、大変だけどやりがいがある

―社会に役立てるための研究に取り組んだからこそ経験できたことはあるでしょうか。ご自身の取り組みを振り返ってみていかがでしょうか。

津村さん:研究するだけでは終わらず、科学の視点に立って提言を行うのですが、その意見が必ず活かされるかどうかはわかりません。時代の流れにも影響されるという歯がゆさを感じることもありました。そう思うと、今、生物多様性を保全しよう、そのためには生物種の多様性だけではなく種内の遺伝的多様性も守る必要がある、だから遺伝学の観点も重要だ、という考え方が当たり前になった現在の状況は昔とは全然違います。90年代に先輩から「君の研究は役に立たない」とさえ言われたのを思うと感慨深いです。

 

―そういう今の状況は、遺伝学の観点が大事だと伝え続けてきた津村さんのような研究者のおかげではないかと感じます。

津村さん:確かにガイドラインを出した後は研究室という閉じたコミュニティにいるだけでは出会わない人たちとコミュニケーションをとることができました。これは基礎的な理論の研究をしているだけでは経験できなかったことですね。

ほかにも数十年間桜の植樹をしてきたNPOから「自分は良かれと思って桜を植えてきたが、これはよくないことをしているのか?」と問い合わされることもありました。そうした方には、あくまでこれは環境に大規模な影響を与える林業での話が中心で、個人の楽しみの点では、地元に昔からあった桜に影響がなければ大丈夫と伝えていました。影響の有無を判断するときのポイントは、その木の繫殖力です。桜の花粉が飛ぶのは2km程度だから、その範囲内での交配が起きないような状態だと大丈夫です。

遺伝学的な情報が林業や森林の保全に少しでも役立ったのであれば、我々のやってきたことに意味があったんだなと感じます。

取材中に当時のことを楽しげに語ってくれた津村さんの様子

津村さんのお話から、研究を社会の役に立たせることの難しさと同時にやりがいを聞くことができたと思います。樹木を研究するだけでなく、木に関わる様々な立場たちとコミュニケーションをとりながら、遺伝学の知見を林業などに役立たせていく。そんな過程をうかがうことができました。

フィールドワークのすすめ

ここからは、津村さんのふだんの研究のお話や、樹木の研究にはつきもののフィールドワークの様子についてうかがいます。
津村さんは研究対象の樹木が生えている現場でのフィールドワークを大事にしているそうです。なんでも自分が指導する学生にはなるべくフィールドに行くように勧めているとか。

 

―学生さんにもフィールドに出ることを勧めているとのことですが、フィールドで大事にしていることは何ですか?

津村さん:その木がなぜそこにあるのかに想いを馳せることを大事にしています。そしてなぜこの木がここにあるかは現場を見ていると浮かんでくることが多いです。林の感じや地形の雰囲気などを見て、その木たちがどうしてそこに分布しているかの原因を考えています。木同士の相互作用や歴史的な背景も関係してきます。

津村さんが岩手県の五葉山へ種の調査をしに行ったときのお写真。ダケカンバという木の林です (写真提供:津村義彦さん)

―木を見て森を見ずという言葉もありますが、木を見るために森も見るみたいな感じですか。歴史的な背景というと、津村さんの研究の中でも、数万年前の最後の氷河期(以降は最終氷期)を生き延びたスギが生息していた場所(逃避地)がどこにあったかが、今のスギの遺伝的多様性に大きく影響を与えているというものがありました。過去から現在までどのような気候の変化があったかも大事だと思いますが、それはフィールドに行っても実感しますか?

津村さん:スギの南限の屋久島に行ったときと北限の青森に行ったときのスギの雰囲気が全然違って、ビックリしました。屋久島のスギは思わず感動するくらい大きかったです。一本一本の幹が太いうえ、歩いていると屋久島の森を占める主要な木であることがよくわかりました。
屋久島が分布の南限になってしまったのは、これ以上南の地域の気候が生存に適していないという環境的な制限によるものではなく、大陸移動によって屋久島が孤立した結果だと実感できました。屋久島のスギ林が長くその地に根づいていることは遺伝的な多様性が高いことからもわかります。

鹿児島県の屋久島にあるスギ天然林の様子 (写真提供:津村義彦さん)

―分布の北限である青森のスギはどうだったのでしょうか?

津村さん:細くはなかったのですが、感動があるほどの太さではなかったです。そのうえ、スギ以外の種類の木と混じって生えており、森の主要な木という感じが薄いように感じました。ここは生き残るにはギリギリの環境で、最終氷期以降に分布を広げて環境的な制限によってここで行き止まりになったのだなという印象を受けました。

スギの北限となる青森県の鰺ヶ沢にあるスギ天然林の様子。画面中央に写る人の視線の先にスギがあります(写真提供:津村義彦さん)

―私は大学でニホンザルの研究をしていたので、観察対象を追いかける必要がありました。津村さんのように一つ一つの対象をじっくり観察できることがなんだかうらやましく感じます。

津村さん:動物と違って、木は動かないのでそこが大きく違いますね。動かないからこそ、分布をどのように広げていくのか、つまり子孫をどうやって残したり増やしたりしていくのかという戦略に工夫があっておもしろいんです。


この話を聞いたとき、樹木の分布を考えることはこんなに奥深いのかと感動しました。「植物は動けないからこその戦略に魅力がある」という話には、「その木がなぜそこにあるのかに想いを馳せることを大事にしています」という津村さんの言葉により深みをもたせてくれました。

目の前にある木はどんな経緯で今そこにあるのでしょうか? わたしも今度森に行ったときには、そう考えながら木を見てみようと思います。

 

―告知―

2023729日(土)に津村義彦さんをお招きしたトークイベントを未来館で行います!
詳細は決まり次第、未来館HPでお知らせします。この記事を読んでご興味を持たれたら、ぜひイベントにもお越しください!

 

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